ミニチュアガーデン
真実は小説より奇なり、とはよく聞く言葉だけど僕がそれを実感したのはこの街に来てからだ。
首無しライダー、自動喧嘩人形、大企業の裏の顔、斬り裂き魔……数えていったらキリがない。それらに気持ち悪いとか、不気味だという不快感を感じないのは自分がちょっとあれな程度に非日常に憧れる性格だからなんだろうなぁという自覚はある。憧れるというより単純に適応力が無駄に高いせいで単調な日常にすぐ飽きてしまうからなんだろうけど。存外自分は飽きっぽい性格をしているらしく、それは年上の恋人が小馬鹿にしたような笑い(あれは笑顔ではなく嘲笑に近いものを感じる)と共に何度か指摘されたことがある。その言葉と一緒に彼が口にするのは
「俺も飽きられないように努力しないとねぇ」
なんて嘘くさい言葉だ。そうまでして僕と一緒にいたいとは思ってないことなんて一目瞭然だというのに、わざわざそういう言葉を口にするあたり本当に彼の性格は破綻していると思う。それを指摘すると彼はまたよろしくない笑みを浮かべ、俺は俺の性格が他人に悪影響だってことくらいは自覚してるけどさ、君は自覚してないから性質が悪いんだよと言ってくる。あの人にそんな風に言われるなんて心外だ。僕はあの人ほど性格は悪くない。
それに飽きられない努力というのなら僕だってしている。だけどそんなもの彼には見え見えだろうし、僕が必死になってるからこそ彼はあんな見下したような顔をしているわけだ。腹の立つ。怒ったところでそれすら彼は薄い笑みで、へー? とか、ふーん? とか鼻で笑った返事をしてくるからできるだけそういうところは見せないようにしてる。その努力が実ってるかと聞かれれば、人間観察が趣味の彼にとってはそれすらも見え透いたものにしか見えないのだろうこともわかっていた。
だから彼が、僕に飽きられない努力を、という言葉を使う度にそれもリップサービスの一つなんだろうと適当に思っていた。
「…………」
僕が学校から狭い四畳半に帰ってくると玄関に段ボール箱が置いてあった。
大きさは僕がなんとか両手で持ち上げられる程度で、小さいとは言えないが引っ越しのときによく使うサイズだから見慣れない大きさでもない。
最初は隣人の荷物だろうかと思ったがそれにしては僕の部屋の前をふさぐように置いてあるのが理解できない。こんな風に置いてあるのだから僕が部屋に入る前に中を明けても文句は言われないよね。
ドラマや小説の世界ならこの箱を開けたらバラバラになった遺体が、とか、札束が、なんてこともあるだろう。そうやってストーリーは劇的な展開を迎えるわけだけど、こんなボロアパートを舞台に物語を起こされても困る。
せいぜい部屋の掃除でもしたときに出てきた不要物でも入ってるんだろう。僕の部屋の前は粗大ゴミを出す場所じゃないんだけど、くらいに思って段ボール箱の蓋を開け、中を見てからすぐに閉めた。
「……え?」
両手で箱の蓋を抑えつけながら思わず声を出してしまう。自分が見たものが信じられず、虚空に向かって首を傾げた。
この街に来てから人が想像しうることで起こらない現象なんて何もないのだとよくよく僕は知っていた。知っていたが、なんだ、これ。
そろそろと背後を振り返ったが当然だけど誰もいない。このアパートの同じ階に住んでるはずの人とはあまり顔を合わすことがないから、おそらく高校生である僕とかなり生活パターンが違うんだろう。だからこそ、この不自然な段ボール箱がずっとここに放置されていたわけだ。どのくらい置かれていたのかなんてわからないが。
だからと言ってここでずっとこの箱と向き合ってるわけにもいかない。同じアパートの住人に見られる可能性は低いとは言え無いとは言えないし、道を歩いてる人だって少し顔をあげたら僕がここでごそごそとやっている姿はすぐに目に入る。何よりこの箱をどうにかしない限り、僕はこの寒い中ずっと外にいないといけない。
考えた時間はほんの数秒で、小さくため息を零してから箱の底に両手をかけて持ち上げた。重さはほぼ想像通りだ。腕力があまりない僕が持ち上げるには少し大変だなと思う程度の重さ。
一旦それをドアの前から退けて玄関の鍵を回しドアを開け、中身を知った今となってはどう考えても僕宛としか思えない段ボールを中に運び入れた。
足先だけで靴を脱いで中に上がり、箱をあまり揺らさないように畳の上に置いてからまた玄関に戻る。念のためドアの鍵は閉めておこう。
「………………はぁ」
がちゃり、と音をたててここが密室になると自然と息が零れた。安心感半分、妙なことに巻き込まれたという不満半分のそれを言及する人間なんてここにはいない。
よし、と一度気合いをいれてから箱の傍に戻り、肩掛けの通学鞄を下ろしてからもう一度段ボール箱の蓋を開けた。
そっと音をたてないように開けたその中身はさっき見たものとまったく同じだ。
箱の中にいたのは幼稚園に入るか入らないかくらいの年頃の子供だった。ただの子供だったら僕はすぐさま警察に電話してる。室内にいれたりなんかしたらどう考えても僕が誘拐犯に疑われてしまうし、そうでなくとも犯罪に荷担していると見られてしまう。
それができなかったのは単純に、その子供が身につけている黒いファーの付いたコートは嫌というほど見覚えのあるもので、すやすやと眠る、目を閉じていても一目で整っているとわかるほどの美貌はすぐさま彼を連想させた。それだけならまだ、いい。彼の面影のある子供のことを単純に、もしかしたら彼の血縁者か、はたまた彼の子供かと思う程度だ。
箱の中の子供の頭には真っ黒な三角の耳が乗っかっていた。いわゆる猫耳と呼ばれるものにしか見えないけどおもちゃの様なチープさは感じられない。触ったら手触りが良さそうで、目の前の相手が寝ているのをいいことに僕はそろそろと手を伸ばし触ってみた。指が触れた瞬間、それを嫌がるように耳がぴくん、と動く。
何度かそれを繰り返してみたが、わかったのは確実に僕の財布で気軽に買える程度のおもちゃを身につけているわけではないということぐらいだった。
何だろうこれ。何だも何も、たぶんこの子はあの人の関係者だ。そうじゃないとここまで似ているわけがない。むしろ彼本人なんじゃないだろうか。だってそうじゃないとここまでらしい格好をしているはずがない。僕を攪乱させるためにしているという可能性もちょっと考えたけど、僕を混乱させて楽しめるのなんて彼しか思い当たらない。ということは、やはりこれは彼じゃなかろうか。成人男性がこんなサイズになるなんて普通は絶対にありえない。でもありえないことが起こるのが池袋で、彼のことだ、僕の知らないルートで何か妙な薬でも手に入れたんだろう。それを飲んでこんな姿になってしまったから一時的に僕の元に逃げ込んできたとか? だとしたらあんな無防備に僕の部屋の前にいるはずがない。ということは、だ。
「……もしかしてこれが努力の結果なんですか?」
寝ている彼から返事がくるはずがないとはわかっているが思わずそう問いかけてしまう。
僕に飽きられないように、なんて言葉は冗談だと思っていたのにまさかこんな姿になってまで僕を喜ばせようとするなんて、などという頭の悪い発想がチラと頭を掠めたがすぐにそれを訂正する。大方何かに巻き込まれてこんな姿になって、ついでに僕のことを思い出した、くらいのものだろう。ということは彼があの場所にいたのは彼の意思なんだろうけど、誰かに追われるような緊急事態ではなく彼自身が楽しめる程度の余裕があるものに違いない。
そこまで思考を巡らせてから肺の中の空気を全て押し出すように深く息を吐いた。
はっきり言わせてもらうと、そこまで僕が予想できる程度の非日常なんていらない。こうしてやれば喜ぶんだろうと侮られているような気持ちになる。でもだからと言ってこの姿の彼を僕がまったく知らずにいるなんてことも業腹ではある。もしかしてそこまで彼は見越した上であんなところにいたんだろうか。それを思うとただ僕は彼の掌の上で踊らされているに過ぎないような気がしてそれもなんだか腹立たしいような気もする。
その憂さを晴らすように柔らかな子供らしい頬を指先でつついてみた。それを嫌がるように箱の中で彼は寝返りを打ち、顔を小さな手で隠してしまう。体勢がズレたことで黒いコートの隙間から長くてしなやかな尻尾が覗いた。
何となく、特に意味もなくその尻尾を指先でつまむ。眠っているはずなのにその尻尾はぴくぴくと嫌がるように揺れた。どこまでも精巧なおもちゃなのか、それとも彼から生えている本物なのか。目を覚ましたらそのあたりを聞いてみよう。
そんな脳天気な僕の思考を読んだように、箱の中で目を閉じていた彼がゆっくりと目を開けた。
緩く開けられた瞼から覗く柘榴色の目が瞬きを繰り返す。
「おはようございます、臨也さん」
そう声をかけると緩慢な仕草で彼は視線を僕に向け、そこでまた何度か瞬きを繰り返すと急に眉間に皺を寄せた。不満そうな顔をしているなと思ったけどたぶん僕がすぐに彼だと気付いたのが気に入らないんだろう。驚かせるつもりだったのかもしれない。でも驚かせたいならあんなところで寝ずに起きて僕を待っていたら良かっただろうに。……待ちくたびれて寝てたのかもしれないけど。どうやら今の彼は暫定、猫のようだし。
彼の思惑に嵌らずにいられたことに少しだけ溜飲を下げ、何を考えているんですかと問いかけようとした僕の耳に妙な声が聞こえた。
「……みー?」
……………みー? みーって、何だろう。もしかして彼は猫らしく鳴いてるつもりなんだろうか。確かに猫はにゃー、とか、みー、と鳴くけど、もう僕に正体はバレているのだからそんなわざとらしい演技なんてしなくてもいいのに、と思う僕の目の前で彼はかばりと身体を起こすと、小さな手を僕の顔に当ててきた。もちっとした感触。どう見ても素手なのに、どうやら彼の掌には肉球が付いているらしい。ということは頭に付いてる耳も、コートから覗く尻尾も本物ということか。子供になる薬なんて某有名アニメで見たけど、オプションで猫耳猫尻尾、ついでに肉球までくっつけるなんて一体どこの層に向けた薬品開発なんだろう。……なんとなく、狩沢さん達なら喜んでくれそうな気はするけど僕にはそんな嗜好はない。
もちもちとした肉球で何度も確認するように臨也さんが僕の顔を弱い力で叩いてくる。一体何をやってるんだと思ったら突然彼は僕の頭を両手でがし、と掴んできた。
「何す、ちょ、いたたたた」
僕の頭を掴んだまま彼がぐいと自分の方へ頭を引き寄せようとする。爪をたてられたせいで痛い。
されるがままに頭を、正確には頭頂部を彼の方へ向けると彼はまた、みー、と鳴いた。
さっきから出してるその鳴き声なんなんです、ちょっとかわいいけどあざとくありませんか。それが言葉にならなかったのは彼が僕の頭の上をひょい、と乗り越えたからだ。その際踏み台にするように僕の頭を踏んでいった。そのせいで首が痛い。
「何するんですか!」
僕の背後に回った彼に苦情を言ってみたがあまり意に介した様子はなく、それよりもとばかりに臨也さんは僕の腰あたりを肉球についた小さな手でぺしんぺしんと叩いてきた。
意味がわからない。
「何なんですか、一体」
「みー……?」
彼と向き合うべく体勢を変えると、彼は途方にくれたように僕を見つめてきた。座った僕と立った彼はそう目線が変わらない。かわいらしいサイズになったものだ。いつもは僕が見上げるばかりだから、この目線の高さは貴重かもしれない。…………でもそう言えば、彼と僕ってあまり座高は変わらなかったような気がする。なんだかそのあたりのことを考えるとものすごく気分が悪くなるので深く考えないでおこう。
「みーじゃわかりませんよ、いい加減そのあこぎな態度はやめたらどうなんです」
そう口にするといきなり臨也さんは僕に頭突きをかましてきた。いや、もしかしたら彼にとっては頭突きじゃなかったのかもしれない。小さな両手がすがるように僕の首にしがみついてきたから、抱きつくつもりだったんだろうか。だけど勢いをつけすぎたせいで小さな頭が頬にぶつかって痛かった。
突飛な行動の数々を不審に思いながらも飛びついてきた身体をあやすように抱き返す。本当に意味がわからない。だけど彼のやってることが奇怪なのは今に始まったこともないか。
「どうしたんですか、臨也さん」
「みー、みー……」
ぐりぐりと頭を肩口に押しつけられる。
さっきから彼は猫のような声しかあげない。これはわざとなのかそうじゃないのかわからないけど、もしかして彼の頭は今、外見と同じような年齢にまで下がってしまってるんじゃないかと気付いた。
甘えられてるみたいで悪い気分にはならないけど、もしそうならちょっと困ったことになったかもしれない。彼と会話が通じないならいつ元に戻るのかがわからないことになる。ああでも、そんな取り返しのつかないようなことを彼が準備も無しにするはずがないか。それならそのうちこれも元に戻るんだろう。……たぶん。
「みー」
「なんですか?」
飛びついてきたときと同じ勢いで顔をあげると彼はじっと僕の顔を見てきた。傾いた陽の光を受けて丸い目がきらきらと光っている。そういえば彼は他人を見るときに目を眇める癖があるから目つきがあまりよくないように見えるけど、実際そうでもないんだよね。だって至近距離にいるときに、と思い返していると目の前の彼の顔がぐっと近づいてきた。さっきからまるで僕の思考を読んだかのような行動をしているがそういうのはやめてほしい。やっぱりこのみー、みー、と鳴くのは子猫のふりでもしてるだけかもしれない。だとしたら、成人男性(今は子供にしか見えないけどさ)がそんなことをするのはどうかと思うと考えている僕の頬をいきなりぺろりと舐めてきた。
「っ、臨也さん!」
慌てて小さな頭を押しのけると不思議そうに首を傾げられる。その顔にはいつものような人をからかう色はまったく見えなくて、あまりにも臨也さんらしくない表情にこちらが戸惑ってしまう。彼のことだから他人を騙すために巧妙に自分を隠すことくらいはするだろうけど、ここまで演技でできるものだろうか。
「みー?」
「…………」
見極めるためにじっと目を見つめる。しばらくは目が合っていたけど唐突に彼の方からふい、と視線を逸らした。この仕草もあまり彼らしくない。彼は僕の方から目を逸らすよう誘導する人間だ。
これは本当に振りじゃないのだろうかと悩む僕の膝をたしん、たしん、と彼の尻尾が叩いてくる。柔らかくてふわふわしているそれは痛みはまったくないけど、何だろう、これ、何かのアピールのつもりなのかな。
「何なんですか?」
「……み」
その仕草の真意を探ろうと、みーしか言わない彼の目をのぞき込もうとすると露骨に視線を避けられる。それにちょっと苛立ち無理矢理目を合わせようとするが中々上手くいかない。
「臨也さん?」
「…………」
さっきまでみーみー鳴いていたくせに急に彼はムスっとしたように何も言わなくなった。でも尻尾は相変わらず不満そうに揺れている。何だろう、よくわからないけどたぶんこれは怒ってる、のかな?
いきなりわけのわからない事情に僕を巻き込んでおいて怒るなんてどうかしてると思う。だけど彼が利己的なのは今更だ。わかりきっていることに文句を言ったところで、それが? と平気で返してくるに違いない。今の状態なら、みー、の一言だけだろうけど。
わざと会話しないのか、できないのかよくわからないけど言葉が通じないのって不便だ。そのことにため息を零しそうになると、ぐー、と狭い室内に音が響いた。犯人は僕じゃない。
「…………」
「…………」
音の主はぺちぺちと自分のお腹を叩いている。そんなことをしたところで音がやむはずもなく、またぐー、と鳴った。
「お腹減ってるんですか?」
問いかけてみても彼は自分のお腹を肉球のついた手で叩くだけで答えない。
お腹を空かせているのが露骨にわかっているのにこのままにするわけにもいかず、不承不承立ち上がる。もしかして空腹だから機嫌が悪いんだろうか。だとしたらやっぱり、彼の頭は子供にまで後退しているのかもしれない。
冷蔵庫に何かあっただろうか。彼の外見から察するに魚を食べたがるのかな。とは言っても魚の切り身がさっと出てくるほどこの台所は機能はしていないのだけど、どうしたものだろうか。
彼が食べられそうなものを探そうと立ち上がり、数歩で辿り着く台所に向かうと彼もその後ろをとことこと付いてくる。相変わらず不機嫌そうな顔はしているが僕の傍を離れる気はないらしい。
冷蔵庫を開けてみたが案の定、中に入ってるのは牛乳と飲料水ともやし、それに調味料くらいだ。正直僕の家は冷蔵庫よりも冷凍庫の方が活躍している。電子レンジにかけるだけの冷食を臨也さんが特に嫌うのはよくわかってるので冷凍庫は開けず、何か買いに行くべきだろうかと悩んでいるとぎゅ、とズボンの膝のあたりを握られた。
無言でそちらを見下ろすと臨也さんは僕の顔を見上げることなくじっと虚空を見つめていた。なんだかその仕草がとても猫らしいと思う。猫って何で何もない空間を見ることがあって、それは幽霊を見てるからだ、なんて言われてるけど実際のところは見つめている方向から聞こえてくる音が気にかかるらしい。よく耳を澄ませていると、彼が向いている方向から踏切の音が聞こえてきた。
聴覚も猫並になっているのなら人混みのある場所へ買い物になど行かないほうがよさそうだ。だけどこんな姿の彼を一人でここに置いていくわけにもいかない。というよりも、たぶんこの様子だと外に行くのもついてきそうだ。
そういえばインスタントのみそ汁があったっけ。お湯を注いだらすぐに食べられるタイプのそれは母親がときどき段ボール箱に詰め込んで送ってくれる。一人暮らしにはあまりいい顔をしていなかったけど、時折そんな風に救援物資を送ってくれるあたり応援はしてくれてるんだろう。
さすがにみそ汁だけだとそうお腹も膨れないけど、あとはこの家にあるのは白米だけだ。
「臨也さん」
名前を呼ぶと彼の耳がぴくん、と動いた。尻尾がさっきとは違う揺れ方をしているから聞こえてはいるのだろう。
「みそ汁とご飯しかないんですけど、どうしましょうか?」
僕の言葉の意味がわかってるのかわかっていないのか。彼は相変わらず尻尾を揺らすだけで何も答えない。
それなら僕の都合のいいように解釈させてもらうことにしよう。そう言えば西のほうではご飯にみそ汁をかけたものをねこまんまと言うらしいし、今の彼にはちょうどいいかもしれない。