不穏なメディスン  04-10








04-10

 恋はするものではなく落ちるものらしい。
 例えばニュートンはりんごが木から落ちるのを見て万有引力を発見した。まぁこれは後から付け足された美談だって言われてるけど、今はこの話の真偽はどうでもいい。
 物が地球に引っ張られることに物自身の意思が介在しないように、引力というのは発生しようとしてするのではなく、自然と発生してしまうものなのだそうだ。
 相手は目に見えない力で僕を引っ張って、どれだけ抵抗してもその力はなくなることなくむしろどんどん強くなる。終わりが見えているならそれまで堪えるよう努力したかもしれない。だけど僕の感情のベクトルはよそに傾くそぶりも見せず。ただひたすらに一人だけに向かっていた。僕の意志を無視して。
 ドラマや小説で語られる恋というのはとても優しいもので、僕だって以前はそういうものだと思っていた。自分の心の矢印が一緒にクラス委員をしている彼女にちゃんと向いていたときは喜ばせたいとか、笑った顔が見たいとか、困ったことがあるなら力になってあげたいとか、そういう暖かい感情を起こすものが恋だと思っていたし、実のところ今でも恋とはそういうものであってほしいと思っている。こんなただひたすら相手が僕と同じだけの力でこちらに引っ張られていないことに不満を覚えるような自己中心的なものだと思いたくない。
 思いたくないが、それじゃあこんなにたった一人に固執している理由が何なのかと問われれば答えは一つしか出てこなかった。いっそあの人が異性であればまだ僕だってこの気持ちに整理がつくのに、残念ながらそうじゃない。体躯は細身だけど実用的な筋肉に覆われているし、涼やかな声は耳通りがいいけれどどう間違ってもソプラノやアルトに分類される高さではなく、もっと低いものだ。
 僕の名前を呼ぶ声だって甘く聞こえる響きを持っていてもそれは誰を呼ぶときでも同じことだ。僕にだけじゃない。街中で声をかけてくれるのも、ご飯に行こうかと誘うのも、突然家に来たりだってそんなのは決して彼が僕を特別扱いしているからそうしているわけじゃないことはわかっていた。わかっていても彼のかける言葉に一喜一憂している自分にただもう、うんざりする。恋ってそんな風に振り回されることすら楽しいと感じられるものじゃなかったんだろうか。いや恋を語れるほど僕に恋愛経験があるのかというとそうじゃないけど。でも僕はもう嫌だった。彼の目がこちらに向かないとわかっているのにあきらめきれない自分にひどく辟易していて、いっそ彼と会わなければ制御のきかないこの感情が死滅してくれるんじゃないかと思った。そうだ、そうしよう、幸い彼は仕事で忙しい身だし、僕だってダラーズのことがある。僕が彼のいそうな場所で黒いコートの姿を探すように視線をふらつかせるようなことをしなければ偶然に会う確立はぐっと減るはずだ。
 ……まぁ、減るだけであって皆無になるわけではないけれど。
 だから学校帰りに、そうだ今日は缶詰特売日だったなぁと考えながら帰路を歩いていたときに、やぁ、と突然彼が現れたとしても、別段おかしなことでもない。
 人通りの少ない道を歩いていたときに声をかけてきたということはもしかしたら今日は偶然ではなく、何かダラーズのことで情報を持ってきてくれたのだろうか。
「……臨也さん」
 名前を呼ぶ声が我ながら少し固いなと思う。しばらく会わないでおこうと思っていた顔がそこにあるのだから、そうなってもおかしくはない。僕が勝手に決めただけだけど。でも臨也さんは少し身構えたように足を止めた僕に頓着せず、すたすたと近づいてきた。
 鞄を掴む手に自然と力がこもる。あまり視線を合わさないように(決心が鈍るからだ)斜め下あたりを見ながら、どうかしたんですか、と尋ねると臨也さんは、君に話があってね、と言った。
「ダラーズのことですか? それならメールでもいいでしょうか。僕、今日はちょっと急ぐんです」
「ああ、そうなんだ? 期待に応えられなくて悪いけどそっちのことじゃないんだよね」
 大事な話だから、メールよりも直接言ったほうがいいかと思って、という殊勝な物言いに思わず顔を上げた。ダラーズ絡みじゃない大事な話? なんだろうか。僕と臨也さんの接点と言えばそれくらいしかないはずなんだけど、と考えてからはたと思い至った。
「正臣に何かあったんですか?」
 チャットで幼馴染が彼の元で働いていることは知っていた。直接連絡をとることはできないけれど、それでもあのチャットルームに行けば正臣に会えるということは僕の心を少しだけ軽くしてくれる。
 もしその正臣に何かあったのなら僕には何ができるだろうか。怪我や病気なら、嫌がるかもしれないけど見舞いに行かないと、と思考を焦らせる僕に臨也さんは小さく笑った。
「君の大事な幼馴染のことでもないよ。紀田君なら元気に俺の仕事を手伝ってくれてるから心配しなくていい」
「そう……です、か」
 病気や怪我は困るが、見舞いにかこつけて会えるかもしれないと膨らんだ期待は一瞬にして萎んだ。正臣から会いに来るまで待つべきだとは思うのだけど、正直寂しい。きっと園原さんも同じ気持ちだ。正臣め、会ったときには日に日に積もっていく文句を全部ぶつけてやらないと。それから三人でよく行ったカフェに行こう。正臣が女の子をナンパするにはオシャレな店を調査する必要があるとかなんとか言って連れて行ってくれた店の内装は男だけで入るには気まずいが園原さんが一緒ならおかしくない。そこで昼ごはんを奢らせて、それでまた前のようにいろんなところに行ったりどうでもいい話をしよう。いつ来るかわからないけれど、楽しい未来の想像は少し僕の心を上向きにしてくれた。
「あの、それじゃあ臨也さんの大事な用ってなんですか?」
 他に思い当たる節のない僕の言葉に彼はすぅ、と目を細めた。笑っているようにも馬鹿にしているようにも見えるその顔に目が泳ぐ。
 この人の顔は本当に僕の心臓に悪い。顔だけじゃなく、声も、後姿も、彼を思い出させる黒い服も何もかも。
 できるだけ彼の姿は視界にいれないでおこう、そうしないと僕の心臓がもたない。人間の寿命は脈拍数で決まるというが、この人の側にいると早死にしそうだ。そう思ってまた視界は不自然にならない程度の早さで下に向けたのに、彼はわざわざ腰をかがめて僕と目を合わせてきた。
「なん、」
「俺、帝人君のこと好きかもしれない」
 なんですか、と尋ねようとした僕の声が喉奥に引っ込む。
「え……?」
 僕はたぶんものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
 好き『かもしれない?』の真意がわからない。かもしれないって、自分の感情なのになんでこの人はこんな不確定な言い方をしているんだろうか。
 そもそもどうしてこの人が僕にこんな言葉を言うのかがわからない。好意を表すような言葉を言えるほど付き合いは長くないからだ。そりゃあネット上での付き合いは長いけどさ。でもチャット中にそんなことを匂わせるようなことは一度も……ないとは言い切れないけど、でもあれは甘楽さんとしてのジョークの一種じゃないか。
 でもそんな言葉は僕にも言えることだ。どうしてこちらが気を遣わないとなかなか会えないような相手を好きになったのかと問われても、僕にはわからない。ただ気づいたら僕の心は勝手に彼が欲しいと走り出していた。
 このとき臨也さんの顔を見ていなければ、きっと僕は浮き足立った気持ちになれたはずだ。頬を染めていたり、もっとせっぱ詰まった顔をしていたら真実味があったかもしれない(そんなこの人は想像もできないけど)。
 だけど目の前にいる彼は先ほどと変わらない笑みをその顔に浮かべている。
 そうして僕の中にことりと音をたてて答えが落ちてきた。あぁ、知っていたのか、この人は。僕のこの自分の意思を無視して暴れる感情を。そんなに露骨に表していたつもりはないけれど、人の機微に敏感なこの人が気づかないわけがない。
 そう気づいた瞬間、僕は今すぐ穴を掘って埋まりたくなった。伝えるつもりなんかこれっぽっちもなかったのだ。いつの間にか自分の中にいた恋心という恥ずかしい単語で表される感情は、産まれたときと同じようにいつの間にかというさりげなさで消してしまうつもりだったのに。
「あの……」
 返す言葉を捜している僕を黙って見つめる目に真意を問おうとするが、彼の表情からは何もわからない。
 羞恥心からじわじわと耳が熱くなっていく。ぎゅうと鞄の紐を握る手に力を込めた。どうにかしてこの場から逃げ出したい。
 自分と同じ熱量を彼が僕に注いでいないことはわかりきっている。もしかして彼はそうやって好意の欠片のようなものを見せれば僕が喜んで尻尾を振ると思っていたんだろうか。だとしたら僕は声を大にして言いたい。馬鹿にするな。そんな施しなんて欲しくもない。
 ぎゅうと唇を噛んで、切り出す言葉を捜している僕に臨也さんは唐突にすっと曲げていた上半身を起こし、それから何も言わずにくるりと背を向けそのまますたすたと歩き出した。
「え……あ、ちょ、臨也さん?」
 あまりに唐突な会話の終わらせ方に思わず僕は彼の黒いコートの裾を握り引き留めていた。せっかく彼から会話を打ち切ろうとしてくれていたのに、一体何をやっているのか。
 もし僕が過去に戻れるのなら絶対にこのときのばした手を止めていたと思う。どれだけ気になってもこの人に自分から行動を起こしちゃいけないと必死になって説得していただろう。だけどそんな親切をしてくれる存在なんてその場にいるはずもなかった。
「何?」
 引き留められるとは思わなかったと言わんばかりに振り返った臨也さんの目が瞬く。
 本気で不思議がっているその様子に僕のほうが何かおかしなことをしているような気になるが、そんなはずはない。
「何、はこっちの台詞です」
「どういう意味?」
「どういうって、」
 問い返されて気がついた。僕はさっきの言葉に、本当は彼の本音が混じっているんじゃないかと期待している。あれはちゃんと意味のある言葉なんだと彼の口から聞きたかった。そうなくても、もしただからかっているだけなら趣味が悪いと文句の一つを言うくらいの権利は僕にあるんじゃないだろうか。
「さっき言ってたのは」
「ああ、あれ? 別に気にしなくてもいいのに」
 臨也さんは再度僕に向き直り、コートを掴んでいた僕の手を掴んだ。ひんやりと冷たい。手が冷えているのは緊張している証拠だって言うけど、この人のは単なる平熱が低いだけのような気がする。
「気になるの?」
 ゆるりと彼が首を傾げた。彼の髪は重力に従って流れ、どこか色気のようなものを醸し出す。
 どこか遠いところでこれ以上踏み込むなという警鐘が聞こえる。だけどそれは、もしかしたら彼の心が手に入るかもしれないという万が一どころか億が一の確立にすがり付こうとする心が無視を決め込んだ。
「それは……気になりますよ」
「どうして?」
 彼の声がじわりじわりと脳に染みこむ。無意識のうちにこくりと喉が鳴った。
「その、好きかもしれないって、意味なく言える言葉でしょうか?」
「どうだろうねぇ? 言葉っていうのは不思議なものさ。俺の意図する意味がそのまま伝わるかどうかは受け取る方にすべて委ねられるからね。まぁ、つまり」
「……僕があなたの言った言葉を意味の無いものにしたくないと思っているということですか」
「正解」
 臨也さんの口ぶりはまるで黒板に書かれた問題を解いた生徒を褒める教師のようで、そして的確に僕の心中を当てる言葉だった。
 どうしても意味をそこに見つけたいのは確かに僕だ。だけどそれをチラつかせたのは臨也さんじゃないか。
 僕が引っかかるとわかっていて釣り針を垂らしたくせに、それを口に含もうとした瞬間に引きあげようとしている。
 僕がもっと大人だったらこれは駆け引きだとわかったのかもしれない。だけど僕は残念ながら誰かと付き合ったこともない、幼なじみの親友風に言うと奥手くんでしかなかった。
 何と返せばいいのかわからずじっと見つめる僕に臨也さんは小さく喉で笑った。
「君がそんなに気にしてくれるとは思わなかったよ」
「…………」
 白々しい言葉に眉間に皺がよる。すっと臨也さんが一歩僕に近づいたが、その分後ろに下がろうとは思わなかった。
「普通さぁ、男相手にこんなことを言われたら気持ち悪いって思うもんじゃない? だって不自然じゃないか。恋愛っていうのは男女がするものだ。子供を作るためのプロセスの一つなんだから」
 彼の言葉は正論で、だからこそ僕の心の柔らかな部分にさくりさくりと刺さった。わかっている、そんなこと誰に言われなくても自分が一番わかっている。
 だけどそれをただ、はいそうですねと肯定することは自分を否定するようで嫌だった。
「子供がいない夫婦なんて探せばいくらでも見つかります。そもそも結婚を前提に恋愛をしている人のほうがいまどきは少ないんじゃないですか」
 ありきたりな反論だとは思った。思ったが、何も言わないよりはマシなんじゃないだろうか。そう思って口にした言葉に臨也さんが日なたに当たる猫のように目を細めた。
「好きだったら性別は関係ないって帝人君は考えてる?」
「多少は障害になるかもしれませんけど……」
 語尾を濁す僕に臨也さんはふぅん、とだけ言って口を閉じた。目線はじっと僕を見つめたままだ。その目には特に何の感情もこもっていないように見えて、やはりこの人は少なくとも僕と同じだけの熱量で僕を見ていないんだろうとわかる。だって好きな人を目の前にしたらもっと挙動不審になるはずだ。沈黙が怖くて、何か話さないとと会話の糸口を探したりしてしまうのに、臨也さんはそんな素振りは見せない。僕はこの無言のじっとりとした圧力に負けてしまいそうだというのに。
「あの……だから、さっき言ったことは、その、」
「ねえ、なんでそんなに気にするの?」
 いたたまれなさから逃げるように口にした言葉を遮って臨也さんは心底不思議そうに尋ねてきた。
「俺は好きかもしれない、って言ったんだよ。この言葉の意味を追求するならさぁ、恋人になってほしいって言われるかもしれない可能性とか、ちゃんと頭の中にあるのかな?」
「え……え?」
 恋人? 僕と臨也さんが?
 あまりにも突拍子も無いその発想に自然と口が綻んだ。それはない。それだけは絶対にない。だって恋人っていうのはお互い想い合っている人たちがなる関係だ。彼の感情のベクトルがこちらに傾くことがないと断言できるのだから僕らがそんな関係になることはまずない。
「そんなありえもしないことは考えません」
「どうしてありえないって言い切れるのかなぁ、帝人君は」
 そんなの僕の方こそ臨也さんに聞きたい。どうしてそんな起こるはずのない仮定を持ち出してくるのか。苦笑を浮かべた僕に臨也さんはにこりと笑った。
「絶対にないって断言するならさぁ、逆に教えてくれるかな。何でそんなに俺の言葉を気にするのか。あぁ、単に自分が気になったから聞いただけで、興味を満たすためだけに人の気持ちを利用しようとしているってことかな?」
 微笑んだまま言われた言葉に一瞬思考が追いつかなかった。












31-35  R-18

 熱い。全身熱いけど、特に下半身が何かに食べられているかのように熱い。フローリングに爪をたててその感覚からなんとか逃げようとしている僕に臨也さんの声が降ってきた。
 声音だけはとても優しい。視界の端に彼の足が映る。臨也さん、と名前を呼ぼうとしたがふいに耳に触れてきた手に甲高い声をあげてしまった。
「や、あ……、さわらな、ひっ」
 触らないで、助けてと訴える僕の声にはただゆがんだ笑い声しか返ってこない。耳殻をなぞり、ふにふにと感触を楽しむように臨也さんの指が這い回る。その手を掴んで止めることもできずに、僕はただ自分の服を握りしめた。指が震えるくらいに力がこもっているのがわかる。でも力をぬくことはできない。だってそんなことしたら必死で耐えているものがあふれ出してしまいそうだ。
 それなのに臨也さんは僕を追いつめるように指を動かす。
「ひ、んっ」
 彼の指がそろりと耳孔をくすぐった。その瞬間噛み締めていた口から漏れたのは紛れもなく嬌声と呼べるもので、恐ろしいことに僕の下半身はその刺激だけで快感を吐き出していた。下着がどろりと湿っていくのが自分でもわかる。
「や、あ……っ」
 一度出したにも関わらず、僕のものは萎えることもなく存在を主張していた。隣に膝をついて、変わらず耳をいじる臨也さんにもそれはわかることだろう。恥ずかしいという意識はあるのに、そのはしたない下半身を隠すこともできず僕の足がフローリングを擦る。
「こういう薬は初めて?」
 当たり前だ。そもそもこんな行為をする相手だって臨也さんしかいない。そんなわかりきったことをどうして聞くのか。
 は、と息を吐き出して下から臨也さんを睨みつけようとしたが、勝手に出てくる涙のせいで上手く像を結んでくれない。それでも臨也さんが嫌な笑みを浮かべたのはわかった。
「床の上でのたうち回ってる姿を見るのって俺は嫌いじゃないんだけど、さすがに君にそれをさせるのはかわいそうかなぁって思うんだよね」
 誰がさせているのか。僕だってこんな無様な姿なんて好きな相手に見せたくない。
「いや、や……っ」
 するりと臨也さんの手が耳から肌を辿って首筋を通り、肩を撫でる。お願いだから触らないで、と呟いた声はちゃんと形になっていただろうか。なっていてもいなくてもこの人が僕の言うことを聞いてくれるとは思わないけど。
「おいで」
「……っ、ふ、う………あ、」
 ぐっと肩を押される。簡単にころりとくの字の体勢から仰向けに転がった僕の手を臨也さんは掴み、そのまま自分の首に回すように促した。
 もしこのとき臨也さんがいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていたら、僕はその手に力をこめてなんとか彼を引きずり倒そうとしていたかもしれない。だけど彼が浮かべていたのはまるで甘やかすような柔らかい笑みで、とても彼に似つかわしくないものだった。似つかわしくないということはつまり、それは彼が意図的に浮かべているものだ。考えなくてもわかる。わかるけれど、ほんの数分前まで僕の上で悪辣な肉食獣のような顔をさらけ出していた彼のその微笑にどこか安心していた自分がいた。こんな状況に追い込んだのは臨也さんなのに、彼に任せればなんとかしてもらえると思ったのは薬のせいで判断能力が低下していたからなんだろう。
「いざや、さ……っ」
 低下している思考力は、この身のうちで暴れ回るような快楽をなんとかしてくれるのはこの人だけなのだと判断していた。だから促されるまま首にしがみつく。いい子、と耳元で臨也さんが囁き、その声にすら僕の身体はびくりと震えて勝手に快感を受け取る。
 彼の声が心地いい。そんなことは知っている。どうして心地いいのかなんてことは考えれば考えるほど自分追い詰めることしか浮かばないから深くは考えないけれど。
 臨也さんは僕の腰に手を回すとまったくふらつかずに立ち上がった。いくら僕が標準的な体重より軽いとは言え、こう易々と人一人を抱き上げられるものなんだろうか。今の僕はほとんど身体に力が入っていないから普通に抱えるより重さを感じるはずなのに。
 でもそんな疑問は口に上がらず、ただただ僕は臨也さんにしがみついたまま浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
「ほら、手。放して」
 さっきまで座っていたソファの上に僕の身体を降ろした臨也さんは、耳元で笑い声混じりにそう言った。彼の身体にしがみつく僕を揶揄するように笑う声は普段ならムっとするものなのに今はそんなことをも考えられなかった。
 放したくない。
 嫌がるように左右に首を振った僕の手を彼は無理矢理ほどこうとはしなかった。仕方ないなぁ、と呟いた声は楽しそうだ。
「あ、あ……んっ」
 するりと臨也さんの手がシャツの中に潜り込んでくる。肌が粟立つ感覚に声が漏れ、それに耐えるために彼の首に回していた腕に力をこめた。宥めるためか、それとも意味はないのかわからないけれど臨也さんが懐くように僕の首もとに顔を擦りつける。彼の髪が触れる感覚だけでまた高い声をあげてしまった。
「や、ひぁ、あ……あっ」
 シャツの中を這い回る手は僕の腹を撫で、薄く浮く肋骨を確かめるように指を滑らせてくる。そういえばこの間臨也さんにもっと肉をつけたほうがいいよって言われたっけ。そのときは自分の中に臨也さんを受け入れていて、上から見下ろしながら一つ一つ骨を辿るように臨也さんの指がゆっくりと動き、その感触に後孔が勝手に蠢くような感覚があって、それで。
「んっ、あ、あぁ……あ、あっ」
 そのときのことを思い出した途端、こらえの利かない身体が精液を溢れ出させた。それは僕がしがみついている臨也さんにわからないはずもなく、耳の近くで、こらえ性がないねぇ、なんて揶揄するように言われたけど、違う、だっていつもならこんな簡単には出したりしない。そんなこと知ってるくせに。
「だって、薬のせ、あ、んぅっ」
 否定しようとした僕を咎めるように臨也さんの指がきゅ、と胸の突起をつまんだ。その刺激だけで下半身にまた熱がこもり、溺れる人間のように臨也さんの服を掴む。ああ溺れるって比喩表現じゃなく、僕は本当にこの人に溺れかけているのだけどどうしてもそれだけは認めたくない。認めたらその瞬間にきっと水面上に上がれなくなる。
「臨也さん、いざ、や、さん」
 思考がバラつくのはやはり薬で身体の制御がきかないせいだろうか。耳から首筋に這う舌の感触に腰が震え、犬のように、は、は、と息を吐き出しながら名前を呼ぶ。なぁに、と甘やかすようなその声に思わず服を引っ張っていた。
 そのせいで臨也さんは僕の首もとから顔を上げざるをえなくなり、一瞬だけ眉間に皺を寄せた彼は僕の顔を見るなり唇に弧を描いた。
「すっごい物欲しそうな顔」
 吐息が触れるくらいの近さで囁かれる声にこくりと喉が鳴る。物欲しそうな顔。確かにそんな顔をしているだろう。だってこの距離では足りないのだ。もっと近くに来てほしい。
 臨也さんはすぅ、と目を細めると僕の期待通りに唇を押しつけてくれた。少しかさついている僕の唇を潤すように彼が舐める。その舌を求めるように少し口を開くとぬるりと熱いものが滑りこんできた。
「ん……ふ、んぅっ……」
 彼に自覚があるのかどうか知らないが臨也さんはキスが好き、だと思う。緩い力で舌を食むと間近に見える彼の長い睫毛がふるりと震えた。
 いつも臨也さんは余裕の体で僕を弄ぶけど、ことキスに関してはほんの僅かだけど僕が優勢になれるときがある。彼の後頭部に手を回して、より深く唇を押しつけ合いながら上顎に舌を押しつけると少し臨也さんが頭を引いた。たぶんそこが弱いところなんだ。だから本当はずっとそこを舐めたり、歯を一つ一つ辿るよう舌を這わせたい。彼はどんな顔をするんだろうか。でもそれを試せたことは一度もなかった。僕よりも経験豊富な臨也さんが自分の性感帯を隠す術に長けているのは当然のことで、特に今のような薬を使われている僕が彼をどうこうできるわけもなかった。
「ん……っ、あ」
 上から僕を見つめながら臨也さんの指が乳首に爪をたてる。痛みが快感に置き換わることに対する恐怖より、もっとそこを触ってほしいという欲求が勝っていた。それなのに臨也さんの手はそこから離れていく。
「や、もっと、あ……あっ」
 もっと触って、とねだる僕の声に臨也さんは喉で笑うと僕自身にハーフパンツの上から触れた。そのまま形を確かめるように彼の指が這い回る。すでに二度出しているおかげで触られた瞬間に吐き出すことはなかったけれど、きっと直接触られたらひとたまりもないだろう。でも触ってほしい、もっとちゃんと、直接それを擦ってほしい。
 後頭部をソファに押しつけながら足を開くと臨也さんは僕の手を掴んだ。







>>不穏なメディスン 02 Love is Erract