Lost the Garden






 例えば今ここで隕石が振ってくる確率というのはどれくらいのものだろうか、と考えてみると、それはどう考えても天文学的な数字の上に成り立つ可能性でしかない。
「でも『振るか』『振らないか』に言及するのであれば二分の一なんだよ」
  専門の人間であれば壊れた星の欠片やそれが地球の引力に引っ張られる可能性、大気圏に入ったときに燃え尽きてしまわないかどうか、そういった内容を計算し た上で隕石が落ちるか落ちないかを考える。その道の専門の人間がいるのだからパソコンを叩けば、隕石とまではいかないまでも流星がいつ見られるかくらいな らわかるものだ。
 だけど隕石落下と同じくらいの低確率なことが起こることを人は一般的に奇跡、なんて呼ぶんじゃないかな。
「奇跡が起こる確率なんて誰にもわからないよねぇ」
 わからないからこそ奇跡だ。仮に目の前でその恩恵に与れたのだとしたら人は概ね、こう思うんだろう。自分の日頃の行いが素晴らしかったから神様がご褒美をくれたんだ、と。
「でも俺は自分の行いの悪さをよく知っている」
  建設中のビルの屋上、その端っこに立ったまま街を見下ろす。遠くへと目を向ければ数え切れないほどの灯りがまたたいていた。東京の夜景は一頃に比べれば大 人しくなったものだが、空にある星よりもずっとたくさん煌めいているその街の灯りはどれだけ見ていても飽きない。あの輝きの下では人が騙したり騙されたり 裏切られたりといったドラマが繰り広げられているんだ、その場に当事者としていなくても想像するだけで楽しくなってくるよ。
 人工の灯りはその言 葉通り人が作るもので、だからこそ俺はそれが愛しく感じるのかもしれない。単純な思惑も複雑な計略もどちらも等しく愛すべきだ。だって策略を巡らせるのは 人の特権なんだからね。それはまあ、猿くらいの知能があれば罠を張るくらいはするだろうさ。でもそこにあるのはどれだけ効率よく生きるか、という本能があ る。人間の場合、ただ相手を陥れたいとか、自分の力を知らしめたいなんていう純粋な悪意を実現させるために頭を働かせる人種もいるものだ。そういう浅はか さも俺は愛すべきものだと思うんだよ。そう言ったところで今まで誰にも賛同を得られた試しがない。欲しくもないけど。
 ただそういったものってど うも人は隠れてしたがる傾向にある。悪いことっていうのは見つかるとだいたい咎められるし止められてしまうからね。だから隠れてこそこそする理由はよくわ かる。でもまぁ、何かを隠そうとしているのってそれだけ人の好奇心もくすぐるものだ。見られたくないものを暴きたくなるのは人の持つ好奇心が成せること で、自分のそれが人一倍強いことは自覚している。その欲を満たすためにどうすればいいかも。
「澱切さんももうちょっと上手くやっていれば俺に見つかることもなかったのにねぇ」
 悪巧みの現場を見つけたのは俺の努力もあるけど、それこそその努力が実るのなんて奇跡って言っていいんじゃないかな。さっきも言ったように俺は日頃の行いの悪さを自覚しているから誰かから与えられた褒美じゃなくて自分の運の強さに感謝しておこう。
  そんなことを思いながら視線をビルのすぐ下に向ける。さっきまではビルとビルの狭間にまるで蜘蛛の巣のように(それにしては太すぎた気もするが)黒い影が 張り巡らされていたのに今は見当たらない。さっきその影の原因と話をしたけど、いやぁ、本当に化け物だよね。生首を片手にしながら淡々と話す姿を見ると、 運び屋がどれだけ人間社会に毒されていたか……適応しようとしていたかがわかる。確かに他の化け物と比べると彼女は人らしかったよ。それも過去形だけど ね。
「新羅は一体どうするのかな?」
 二十年以上片思いをしていた相手があれだけ変わったんだ、あいつが首を隠そうとした気持ちもわかる。まあ、あそこまで変わってしまうとわかっていたわけじゃなく、あいつなりにできるだけ現状を維持しようとしていただけだが。
  俺には化け物のことはわからないし、知りたいとも思えない。ただ新羅の恋愛感情を人としてシミュレーションするのであれば、そこまで変わってしまった運び 屋をあいつは今まで自分が恋慕を向けていた相手と同じ者だと認識できるんだろうか。できないのであれば、お前の恋とやらその程度だったんだと嗤ってやりた いし、変わらず一途な愛とやらを貫くのであればあいつにとって運び屋とは何なのか聞いてみたい気もする。人格も外見も変わってしまったのなら、それはもう 彼女じゃないんじゃなかろうか。
 そこまで考えたところでふと脳裏を一人の少年の顔がよぎる。それだけで自然と唇が綻んだ。
「変化も愛すべき一つの過程だとは思うけどね」
  ちょっと俺が目を離した間に面白いくらい化けてしまったあの子。それも、あれだけ周りに人外や俗にアングラなんて言われる人間もいるのにそこに引きずられ ることなく、かといって真っ当な道を行く気もないまま境界線でふらふらと彷徨っていたい、だなんてまともな頭の持ち主が言える発言じゃないよね。あの子自 身、自分のことを過小評価しているみたいだけど本当にあの子が言葉通りに弱い人間ならとっくに周りに助けを求めているはずだ。逆に強い人間であれば、そも そもブルースクウェアなんて怪しげなグループと組んだりしない。
 その点だけで言えば確かに帝人君は本人の言った通り、波打ち際をゆらゆらと彷 徨っているんだろう。言い換えてしまえばコウモリみたいなもののような気もするんだけどねぇ、どっちつかずな態度っていうのはさ。ただ当の本人が自分の弱 さを許せないようだから、中途半端なことをして責任逃れをすることもないだろう。
 あの子が一体どんな決着をつけるのか俺は楽しみで仕方が無い。どんな結末であれ、愛すべき人間の見つけた道なら暖かく見守ることにしよう。
 とは言え、俺がそう思えるのは帝人君の外見は出会った頃のままだっていうのも大きな原因の一つかな。身長は伸びてるだろうけどさ。
  自分の弱さに潰されそうになったときってクスリに手を出すようなこともあるんだけど、もしあの子がそんなことをしていたら俺はここまで興味をそそられてい なかったかもしれない。わからないけどね。どうにもあの子は俺の想像の外で生きているところがあるから、もしかしたらよくない薬物を使っても俺を楽しませ てくれるのかもしれない。
 観察対象の相手に失望させられることなんて今までにいくらでもあった。でもあの子だけはそうならない、なんて思っているあたり、自分が相当あの子に傾倒していることがわかって少し楽しくなる。
「ほんと人間って素晴らしいよね! 人、ラブ!」
  盛り上がったテンションのまま両手を広げる。端から見たらどれだけ俺の機嫌がいいかバレバレだ。今はここに一人だけど。連れてきた御影ちゃんは下にまわっ てもらったし、屍龍の連中も邪魔になるからこのビルに誰も入ってこないよう、見張りに回らせた。そうすることになった原因を思い出し、一気に気分が盛り下 がる。そうそう、今から化け物と遭わないといけないんだよね。何でシズちゃんがあんな場にいたのかわからないけど、運び屋と仲がよかったから偶然ってわけ じゃないんだろう。
 ビルの屋上から落ちてきたフォークリフトを素手で排除したことと言い、本当にあいつは怪物だ。そんなものに遭遇するのって物語の中だけにしてもらいたいよね。
 そう思ったところでシズちゃんが二次元に消えてくれるわけじゃない。だから明確な殺意を持って俺のところに来るというのなら、俺だって同じ熱量で相手をさせてもらうだけさ。
「……ん?」
  不意に手の中の携帯が振動を始めた。さっきシズちゃんに電話をしてからずっと握りしめてたんだよね。こんなタイミングで架けてくるなんて誰だろうか。御影 ちゃんかな? シズちゃん以外の足止めしていてって頼んだけど上手くいかなかったとか? できなかったとしても責める気はないし、そんなことを一々連絡し なくても構わないんだけどと思いながら表示されていた発信者の名前に一瞬思考が止まる。
 勝手に浮かんだ笑みをそのままに、さっきまで思い浮かべていた相手からの着信に応えた。
「やぁ、帝人君」
  彼とは昼間話したばかりだ。それなのにまた連絡してくるなんてどういった風の吹き回しだろう。珍しいこともあるものだよね。珍しい、と言えば俺だってシズ ちゃんがいつドアを蹴り開けるかわからない状態なのに電話に出るなんてどうかしてる。これが帝人君じゃなかったらそのままなかったことにしてかも、と思う 自分の思考に爆笑したくなった。いきなり笑い声をあげたらせっかく架けてきてくれた帝人君が驚くからしないけど。
『臨也さん?』
 そんな確認するように聞かなくても、君からの着信があるこの携帯の番号はそう簡単に横流しをしたりはしないさ、と軽い言葉を返すよりも先に彼は関を切ったようにまくし立てた。
『今どこにいるんですか? あの、パソコンが使える場所にいますか?』
「……?」
 一方的な言い分だが声には焦燥のようなものがうかがえる。昼間、生首がテレビに映ったときだってここまで慌てたりしていなかったのにどうかしたんだろうか。
 今まで街を見下ろしていた身体を反転させ、この屋上へと出るためのドアを見つめる。あれが開くまでにはもう少し時間があるかな。シズちゃんが階段を無視して垂直に登ってくるなんて芸当をしなければ、だけど。
「いきなりだねぇ……悪いんだけど、今は外にいるんだ」
『外、ですか……』
 途端に落胆した声が気にかかる。情報屋である俺にパソコンが使えるか、なんて聞いてきたということは、何か急ぎで欲しい情報でもあったんだろうか。でもこの子ならもう、俺の伝手なんてなくても手に入れられるだろうに。
「どうかしたの?」
『……チャットルームが、』
「チャットルーム?」
  あまりに唐突なその単語に瞬きを繰り返す。最近帝人君、あそこに顔を出していなかったのにどうしたんだろうか。また九瑠璃と舞流が馬鹿な噂話でも垂れ流し て遊びだしたかな。あいつらは俺が注意したところで絶対にやめたりしないし、むしろ苦言を言えば言うほど進んでやりたがるような性格だ。一体どうしてあん な風になってしまったんだかと兄として嘆きたくなるよ。原因は俺だけど。
 電話の向こう側で帝人君はしばらく黙っていた。言葉を選んでいるよう な、何と言えばいいのかわからないような雰囲気が伝わってきて、これがテレビ電話だったら顔を見て話せるのにと少しだけ思う。顔を見たところでただこの子 が焦ってるんだなってことくらいしかわからないと思うが、そういうのこそ見てみたいよね。この子ならどんな表情でも楽しませてくれそうだ。
『あのチャットルーム、臨也さん以外がアク禁したり過去ログを消したりすることは可能ですか?』
「無理だねぇ、あれは自サーバーで作った場所だから君にパスワードを教えることはできない。自分がした発言なら修正できる機能はあのチャットルームにはつけておいたと思うんだけど」
 俺の方にはその修正する前の内容も全部残るけどね、と胸中で呟き帝人君の言葉を待つと、彼が深く息を吐き出す音が聞こえた。
『チャットルームが荒らされてて』
「荒らし?」
  誰がそんなことをやらかしたのやら。九瑠璃と舞流がやるにしても、あいつらなんだかんだでぎりぎりの線引きはできているから帝人君をここまで困らせること はないだろう。ただアドレスを色んな相手に振りまいているからその中の誰かかな。黒沼青葉は手を出すことがないだろうし、御影ちゃんのお兄ちゃんはそんな 面倒くさいことを好まない。古参メンバーは今、みんな忙しいしねぇ。
「荒らしなんて放っておけばすぐにおさまるよ」
 言われないまでもわかっているだろう言葉をあえて口にしたのは電話を切らせないためだ。俺が何もできないとわかるとすぐに切りそうなんだよねぇ、この子。こちらとしてはこんな中途半端な情報を放り投げられたままじゃ困る。
『違うんです、そうじゃないんです……やっているのがその、矢霧波江さんで』
 ある意味予想の範囲内の名前が出てきたことになんとなく、空を見上げた。そこに星なんて一つも見当たらない。
  波江さん、波江さんねぇ……そうか、確かに彼女なら帝人君の焦りもわからないでもない。帝人君って外見だけならひ弱に見えるから比較的、庇護対象と誤解さ れがちだ。だからこそあの子を露骨に敵に回す人間はそう多くない。弱い者イジメしてるみたいな気持ちになるんじゃないかな。実際、そんな可愛い生き物じゃ ないんだけどさ。
 帝人君の内面が外見にそぐわないということをよく知っている波江さんなら、それはもう躊躇せずに色々あの子の困ることをやらか してくれるだろう。だけどチャットルームに手をつけるなんて意外だ。意外と言えば、この子のこの焦りっぷりもだけど。全然顔を出していなかったんだからそ のまま放っておけばいいのに。そんなに困る情報でも流されているのかな。後で見てみよう。……見れれば、だけどね。
「それで? 君は俺に、そのログを消してもらいたいのかな? 波江さんを追い出して?」
 できないわけじゃない。管理主は俺なんだから。でもそうしたとしても彼女のことだ、別のIPから入ってきてまた同じことを繰り返すに違いない。それじゃあ意味がないよね。
 物事を解決するには問題を排除するんじゃなく、どうしてそれが問題になるかを知るべきだ。
「君がそんなに慌ててチャットルームを何とかしてほしいって思った理由を教えてもらえる?」
『だってあそこは大事な場所じゃないですか』
 事の次第によっては今すぐなんとかできるかも、なんて口八丁にまんまと乗った彼の言葉に携帯を落としそうになった。
  大事な場所、ってこの子、あんなところをそんな風に認識していたのか。……まあ、でも無理はないかな。この子にとっては池袋に来る前から慣れ親しんでいた 場所だ。それを抜きにしても、あの場は彼にとって【竜ヶ峰帝人】ではなく【田中太郎】になれるし、ある意味この子が大好きな非日常が簡単に手に入る。何せ メンバーがすごいからね。この子がどれだけ把握しているかわからないけど、ちょっと試してみようか。
 にわかに湧いた好奇心に後押しされるように俺は彼へと一つ、尋ねてみることにした。
「君がそう思ってくれるのは嬉しいよ。誘ったかいがある。……でももう、あそこに君が期待している人間は集まらないと思うよ」
 罪歌やバキュラや、それ以外の人間ならあそこに書き込むことができるだろう。でもこの子があのチャットルームに来るようになったときからいた彼女はもうどこにもいない。
『それって……』
 時間にしたらほんの数秒ほどだったと思う。
『セルティさんは……首、見つけたんですね』
  沈黙を破るように呟いたその答えに俺は見えないとわかっていても、鷹揚に頷いた。やっぱり彼は見抜いていたらしい。まあそもそも、彼女にも隠す気があった のかどうか怪しいけどさ。あのチャット以外でもメッセで同じ名前を使っていたのを知っているし。逆に、運び屋はどうだったんだろうね。田中太郎が帝人君だ とわかっていたんだろうか。まあでも、甘楽が俺だってことにも気付いてないみたいだったしそれはないかな。わかっていたなら帝人君に俺と話すのなんてやめ とけと言うはずだ。
『そうですか……なら仕方ありませんよね』
 運び屋と友人だった帝人君はもっと何か言うかと思ったのに、彼が言った言 葉はそれだけだった。やけに冷めているが、もしこれが一年前だったらもっと違ったんだろうなと思うと楽しくなるよ。この子にとってはもう首無しライダーと いう存在は非日常から外れてしまっているようだ。まあ俺のこともだろうけど。だからこんな気軽に電話してくるんだろうしさ。
 それにしてもこんなあっさりとした応えになっちゃうんだねぇ、と思っていることは出さず、電波の向こう側にいる彼へ言葉を投げた。
「うん、だからあのチャットルームはもう閉鎖しちゃおうと思って」
 一瞬言うか悩んでから俺は結局自分の好奇心に勝てず、俺もまたあそこに顔を出せるかどうかわからないし、と付け加える。
『……何かするんですか?』
  架けてきたときよりもだいぶ落ち着いた声音とは言え聞き返してきたことに小さく笑った。もしこれにも、そうですか、と単調な返答をよこされたら高い笑い声 をあげていたかもしれない。この子が大事だ、と言い切っておきながら古参の二人が消えても平然とするのなら、帝人君があの場所の一体何を大切に思ってるの か是非教えてもらおうと思っていたのに。
「俺がするというより、この場合はされるが正しいんじゃないかな」
『日頃の行いの成果、ですね』
「逆恨みする人が多くて困るよ」
  まあシズちゃんに関してはそう言えないってことくらいはわかってるけど、まさか帝人君相手に今から化け物と殺し合いをしてくるね、なんて言うわけにもいか ない。そう思ったのに帝人君は、ほどほどにしてくださいね、公共物は市民の税金で作られたものなんですからと言った。どうやら今から俺が相手をするのが誰 かわかっているらしい。でもまあ、俺が先が見えないと断言できる存在と言ったら確かにシズちゃんぐらいかもね。
「ねえ」
『? なんですか?』
「それだけ?」
『え?』
「俺は今から死ぬかもしれない、そういう話をしたんだけど、帝人君から俺に向ける言葉はそれだけ?」
  別に何か期待したわけじゃない。それこそ昼ドラみたいに、行かないで、なんて言葉が出てくるなんて期待もしてないさ。そもそもそんな言葉を俺に言えるのな ら幼馴染みである紀田君にあのとき言ってあげたらよかったんだ。この子達が大きく袂を分かつきっかけになったあのときにね。
『え、ええと……そんないきなり言われても』
 どうでもいいですとは言わずに、きっと眉をへの字にしたまま何て言葉を送るべきかと悩む声にさっきとは少し違う感情がわいた。無意識に口の端を上げていた自分に気付き、おや、と不思議に思っている俺の耳へ帝人君の声が注がれる。
『臨也さんが何をするつもりかよくわかりませんけど……携帯、データが取り出せなくなる程度には壊しておいてくださいね』
「…………」
『どうせちょっと変な死に方でも演出する気でしょう? 万が一携帯をその場に落としでもしたら、最後にあなたに架けた僕も色々聞かれると思うんです』
 今から何をする気なのか僕は知りませんし、そもそもそんなに親しくもないのに事情徴収されても困ります、と言った彼の声は本当に心底困っているもので、嫌味だとかそういった類いの感情は見当たらない。
「それはまぁ……そうだねぇ」
 電話相手が死ぬかもしれない、と言ったのに案じているのは自分の身だけという自分勝手さを愛しむべきか、それとも『死に方を演出する』なんて言い回しで俺が死ぬわけがないと根拠もなくに信じている安易さを可愛いと思うべきか迷うところだ。どちらも似たようなものだが。
 我ながら、この子がどんな態度を取ったとしても自分のとる行動は変わらないということが妙な気分になる。でも不快感はない。
『あの、それじゃあお忙しいみたいなんで失礼します』
「うん。……またね、帝人君」
 俺の返事に彼が、喉で笑ったような音が耳に届いた。今から死ぬかも、と言っておきながらまたね、と言ったことがおかしかったのかもしれない。
 通話の途切れた携帯電話をしばらく見つめてから携帯の電源を落とし、電池パックを抜き取った。そこからSIMカードだけ取り出す。
「まともにシズちゃんとやりあったら携帯なんて粉砕しちゃうとは思うけど、まあ一応ね」
 そう呟いてから視線をドアから外し、さっきまでいたビルの端っこへと足を向け携帯をビルの屋上からそのまま下に放り投げた。このビルは工事中となっているから下で誰かの頭にぶつかることもないだろうし、この高さなら間違いなく粉砕する。
  俺が帝人君の言うことを聞く必要なんてどこにもないってことは勿論わかっていた。仮にこうしなかったとしても、あの子が俺を責めることすらしないだろうっ てことも。何せあまり俺とあの子は親しくないらしいので、頼み事を却下されたとしてそんなものかと思うだけで終わるに違いない。
「親しくない、かぁ」
 確かにあの子から見たらそうなのかもしれない。俺が一方的にあの子のやらかすことを楽しんでいるだけなんだし。でもどうもその発言が胸に引っかかった。
「せめて俺が死んだら悲しんでくれるくらいにはなりたいかな」
 自分で言った言葉に小さく笑う。悲しんでくれるくらい、ねぇ。どうにもあの子が泣く姿なんて想像がまったくできないんだけど、それを思い描けるくらいに親しくなるって一体、俺はあの子の何になりたいんだろうか。
 考え込むとふわふわとした気持ちになるその疑問の答えが出るよりも早く、ドアが蹴破られる音が後ろでした。そのせいでさっきまでの気分の良さが一気に吹き飛んでしまう。
「化け物退治してからゆっくり考えるか」
 そう独り言を呟き、SIMカードはコートのポケットへと忍ばせてからさぞや怒り狂っているであろう化け物と対峙すべく振り返った。