身体が妙に重いのは何度も射精させられたからだけでなく妙な薬を使われたせいだと思う。薬は抜けたから自分の意思で動くことはできるけど上半身を起こすことすら億劫だ。
「大丈夫?」
 事の原因である臨也さんが枕に突っ伏したままの僕の頭を撫でる。その掌だけは優しくて、だけどそんなことで許せるわけがないことをしでかした彼を睨みつけるとわざとらしい苦笑が返ってきた。
「酷くないですか。だってそもそも臨也さんが悪くて、僕は臨也さんに八つ当たりされたようにしか思えないんですけど」
「八つ当たりじゃないさ。本当に何の連絡もしてこないとは思わなかったんだよ。帝人君にとっての俺の価値を思い知らされた気がして寂しくなって、それでつい」
 つい、で人に薬を盛らないでもらいたい。
「だから謝っただろ?」
 僕の手から小瓶を取り上げたときのことを言っているのだろうか。確かに謝罪を口にしていたけど、あれこそまさに口だけでは何とでも言える言葉じゃないか。本気で謝る気があるのならその後手を出さなければいい話なのに。
 そんな恨み言を込めた視線に対する返答は、恋人が無防備に転がってるのに何もしないでいられるなんてそれこそ勃起不全を疑われると思うけど、という嬉しいようなはた迷惑なような微妙なものだった。
「怒ってる?」
 言葉だけなら殊勝なものに聞こえるのにくすくすと笑いながら寝転がる僕の身体の上に体重を乗せてくるから本気で僕の機嫌を伺ってるものじゃないことはすぐにわかる。彼だって、僕が怒ってないことくらいわかってるから言ってるんだろうけどさ。耳に優しい言葉と触れ合う体温だけでするりと腹立ちが溶けるのだから恋愛感情って恐ろしい。
 とは言え、このままもうしないでくださいね、何て言葉で終わらせる気もさらさら無い。
 僕の上にのしかかる臨也さんに退いてくれるよう無言で身体を動かすとあっさりと彼は身を引いた。両脚をベッドから下ろし、震える脚を叱咤しながらベッド脇に置いているローテーブルの前に立つ。
「帝人君?」
 問いかける声を耳にしながら返事をせずに臨也さんがさっきクローゼットから取りだしていた小箱を手に取る。しばらく考えてからその内の一番右側の小瓶をとり、氷が溶けきって味が薄くなっているであろう温いミルクコーヒーの中へ数滴垂らした。マドラーがないからグラスを揺らして中身を混ぜ、ベッドの上で楽しそうな顔をしている彼にそれをそのまま差し出す。
「どうぞ」
「へぇ?」
 愉快そうに笑いながら臨也さんは僕の手からグラスを受け取った。
 祝ってくれなかった、と詰られたことは別に構わないし、僕が臨也さんをないがしろにしたんじゃないかと勝手に暴走して暴挙に出たこともまぁ、この際だ。恋愛って冷静な判断ができないものだよねと流すことにしよう。単純に僕が何か仕返しをしないと気が済まないのはあれだけ嫌だと言ったことをやめてくれなかったことに対してだ。あんなみっともない姿をどうして好きな相手に見せないといけないのか。臨也さんが見たのなら、僕だって彼のそういう姿を見てもいいじゃないか。
 そんな思いから出た行動に彼は怒るでも困るでもなくただただ楽しそうに笑うだけだから本人も少しくらいは反省しているのかもしれない。僕の思惑に乗ってやろうとおもう程度には。
「中に何入れたの?」
「自白剤ってあなたが言っていたものですよ」
 そう返すと臨也さんは、ふぅん、と頷いて一息にグラスの中身を飲み干した。嚥下される度に動く喉が妙にいやらしく映るのはさっきまでしていたことの弊害かもしれない。
 空になったグラスを手を伸ばしてローテーブルの上に乗せると、臨也さんはゆったりと枕にもたれた。
「それで?」
 案外あっさりと飲んだな、と思いながら空いたグラスを見つめる。
「俺にそんなものを飲ませて何が聞きたいの?」
 微笑を浮かべる臨也さんに焦りなんてものは微塵も見当たらない。
 普通得体の知れない薬を飲んだらいつごろ効果が出るのだろうかとか、本当に効くのかということに意識を捕らわれるものだけどこれを用意していたのは臨也さんだからどの程度のものかはよくわかっているんだろう。単純に飲み薬だと考えると、効果が出るのは早くて十五分くらい先かな。
 自白剤、と言うのだから問い詰められたことに自分の意思関係なく答えてしまうものだと思うがこの様子を見るとそんなに強いものじゃないのかもしれない。それを思うと何だおもしろくない、という本音が顔に出てしまったのか臨也さんは声をあげて笑った。
「何、その顔。もしその薬の効果が怪しいと思ってるんだったら教えてあげようか? 効果はちゃんとあるよ。忠誠を誓っていた犬が所属していた組織の内情をべらべらしゃべりながら舌を噛んだくらいにはね」
 犬はしゃべらないと思います、なんてありきたりな突っ込みはいれないでおこう。ただの揶揄を一々言及するのも野暮というものだ。
 それにしてもそんな現場を見ることがあるなんて臨也さんはつくづく僕とは違う世界にいるんだなと思う。舌を噛むと失血死よりも先にショックで舌が丸まって、気道が塞がれて死ぬんだっけ。実際そんな現場見たことはないけどその臨也さんが見ていた犬とやらもさぞ苦しい死に方をしたことだろう。ただの実験だったのかどうなのかわからないけどそれを思うと眉を顰めてしまう。
 僕の態度に臨也さんは目を細めるだけで応えるとわざとらしく両手を広げて見せた。
「効果のほどは俺が保証する。だから何でも聞いていいよ? 今なら大サービスでどんなことでも教えてあげよう。薬が切れるまで、だけどね」
「……そんなに余裕があるところを見せつけられると、適当な嘘を言われそうな気しかしないんですけど」
 ため息を吐きながら床に放られた制服のズボンに手を伸ばす。下履いちゃうの、せっかく眼福なのにという言葉に耳が熱くなった。今身につけているのははぎとられなかったシャツだけで、筋肉がついていない脚は見苦しいものでしかないと思うのだけど、こんな身体でも臨也さんの劣情を誘えることはさっき散々教え込まされているから言葉を疑う必要なんてない。ズボンを手にしたままじっとりと睨みつけると鷹揚に笑う目と視線が合った。
「帝人君はさぁ、俺が適当なことを言って誤魔化すだろうから簡単に薬を飲んだんだって疑ってるんだろ?」
「そうですよ。実際、あなたが口にしたことが真実かどうかなんて僕にはわかりませんし」
 ズボンのポケットをさぐり目当てのものを取り出しながらそう口にすると臨也さんは肩を竦めた。
「ま、俺の態度が信用ならないっていうのは自分でも自覚してるからそのあたりは否定しないでおこう。ただ口先だけと思われてるとはいえ、言わないよりはマシだろうから言っておこうかな」
「何をですか?」
 携帯を握りしめたままズボンが皺にならないように(今更だけどさ)畳み、少し悩んでからベッドの足下に置きいてそう尋ねると臨也さんは見ているこちらが一瞬どきりとするような綺麗な笑みを浮かべた。容姿端麗だってことをものすごく自覚しているようなその微笑みに心臓が騒ぐ。
「俺は君に聞かれて困るようなことは何もないってことだよ。仕事のことでも、プライベートのことでも、ね」
「…………」
「例えば今俺がやっている仕事は任侠系の人とつながりを持っている内容がいくつかあるし、その中にはダラーズに関わることもある。それを君が聞きたいというのなら言っても構わないさ。その情報を帝人君なら上手く使えるだろうしね。よもや恋人である俺に危険が及ぶようなことはしないだろうし。あとは……そうだな、君がもし俺を信用できなくなるようなことを仮に口走ったとしてもそれを聞きたいと思ったのは君だしねぇ」
 隠していることを暴き立てるのならそれ相応の覚悟を持てと言いたいらしい。それは確かにそうだけど、僕はこの人の仕事の内容にはさほど興味を持てない。ダラーズのことだって、臨也さんが掴んでいる情報が全て真実とは限らないのだし、何よりもしかしたら嘘を吐くかもしれないという状況でそのことを聞くほど僕だって馬鹿じゃない。嘘だろうか本当だろうかと悩むくらいなら、きちんと金銭を渡して情報をもらうほうが良い。
「プライベートのことはそれこそ君相手に隠すようなことなんて何もないよ。何ならどれだけ帝人君のことが好きなのか聞いてみてもいいんじゃない? 俺は口が回るほうだと思うんだけど、言葉を駆使して思いを伝えてあげるよ?」
「結構です」
 それこそ虚しくなるだけじゃないか。
 腹腔の息を押し出すようにため息を吐いてから僕はベッドに座り臨也さんに背を向けたまま携帯を操作した。
 この人は本当に口がよく回るなぁという感想を持ちながらもどうして余裕綽々と言わんばかりの態度だったのかを理解する。この人にとって僕が聞くだろうなと予測できるものは真実であれ、虚偽を伝えるのであれあまり困らないものらしい。情報屋の折原さんにとってプライベートはさておき仕事内容を言ってもいいと思えるのは、僕への罪悪感からノーマネーで欲しい情報をあげてもいいと言っているのだろう。薬が本物だとしたら、という前提が必要になるけど。
 その前提をどうやって判断したらいいのかわからない。でも僕はそもそもそんなことを聞こうなんて思っていなかった。だってここは臨也さんの寝室で、彼のプライベートルームじゃないか。そんな場所でそんなことを聞くなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。かと言って彼の、僕への気持ちを聞く勇気は残念ながらない。そもそもそんなことを自白剤まで飲ませて聞こうという時点で彼の気持ちを疑ってるようなものだし。臨也さんは愉快犯ではあるけど酔狂で同性の、それも年下の人間をこんな関係で手元に置きたがりはしないだろう、と思う。だって僕が言うのもどうかとは思うのだけど、男同士というだけで地味に面倒なことは多い。それでも一緒にいることを選んだのだと思っておきたかった。
 僕が臨也さんに幻覚剤でも勃起不全治療薬なんてものでもなく自白剤を飲ませた理由は単純に、一番おもしろそうだなと思ったからだ。……幻覚剤は幻覚剤でものすごく興味があるけど、どうせなら自分で飲んでみたいかな。
 準備を終えた僕が顔を上げて臨也さんのほうに目を向けると彼は何を言ってくるんだろうと言わんばかりに楽しそうな顔をしていた。
 彼が想像しうることを言って掌の上で踊らされるのも嫌いではない、のだけど今回は報復だ。
「臨也さん」
「何?」
「その薬、どれくらい効果は持続しますか?」
「これを渡してきた人間はだいたい三十分程度って言ってたかな。人によって差はあるだろうけどさ」
「薬を飲んで、そろそろ十分くらいでしょうか?」
「そうだね。効果が出るにはもうちょっと時間がかかると思うけど……何を聞くかは決めたの?」
 身体を起こした臨也さんの、好奇心をチラつかせるような目の前で携帯を左右に振ってみせる。
「この携帯、録音機能があるんですよ」
「昨今の携帯ならどれにでも付いてる機能だけど……それが何? 後で言質にでもする?」
「まさか。単なる残る思い出にしたいだけですよ」
 残る思い出ねぇ、と笑みを浮かべる余裕を崩すべく、僕は兼ねてから一度この人に聞いてみたいことを尋ねてみた。
「臨也さんが今までで一番恥ずかしかったことって何ですか?」
「……は?」
 唐突な質問に臨也さんの笑みが凍る。
「あ、二番目や三番目も教えてくださいね。あとは……そうですね。例えば臨也さんがもし、他人の記憶を消せるんだとしたら誰のどんな記憶を消したいのかも知りたいです。あと、思い出す度悶絶したくなる過去ってあると思うんですが、どんなことでしょうか?」
 黒歴史って他人から聞いたらわりとどうでもいいことだったり、多感な思春期ならそれくらいあるよねって思えるようなことが大半だけど今でも中二病を患ってると長年付き合っている新羅さんに言われているのだから、臨也さんの言いたくない恥ずかしい過去はさぞや酷いものに違いない。
「何でも教えてくれるんですよね、臨也さん」
 薬が効き出すまでにはもうしばらくかかるだろうがそれも計算の内だった。考える時間が長ければ長いほど芋づる式に記憶を引っ張り出してしまうものだ。 
「三十分でどれだけの話が聞けるのかとても楽しみです。あ、僕の携帯、ガラケーですけどSDカード入れてるので一時間くらいなら余裕で録音できますから」
「…………」
「さあ、どうぞたくさん思い出してくださいね」
 さっきと変わって引きつった笑顔を浮かべる臨也さんの顔を見るに、どうやらあの薬は本物だったらしい。それなら幻覚剤も本物なのかもしれない。後で試してみようと思いながら臨也さんが口を開くのを今か今かと心待ちにしていた。











終わり