La Belle et la Bete 後
常々思うことだが新羅の家の食器は使う人間が実質一人しかいないにも関わらず、やたらと質だけはいい。その質の良いティーカップに無造作にお湯を注ぎティーバックを放り込むだけのお茶を客に出すなんてほんとこいつはいい性格してると思うよ。
「客人なら私だってもう少し気を遣うさ。せめてティーポットくらいは出すかな。でも臨也なら別にいいだろ?」
目の前でお茶どころかただのお湯を口にしている新羅に生ぬるい目を向けると、目の前で肩を竦めた。
「正直味にあまりこだわりはないんだ。君と違ってね」
「お前は首無しが手を出したか出してないかで味が変わるからな」
ただ湯に色と渋みが加わっただけのようなものを一口含んでから眉間に皺を寄せそう言うと、新羅はそれはもちろんさと相づちを打った。
「一つ聞きたいんだけど」
「へぇ、君がそうやって前置きをして質問をしてくるのは珍しいね」
揶揄するような言葉を無視してお茶もどき(これを紅茶とは認めない)を口にしてから言葉を続けた。
「新羅がそうやって運び屋を信用して心酔してるのはよくわかった。逆はどうな、」
「セルティかい? もちろん彼女も僕を愛してくれてるに決まってるじゃないか!」
人の言葉を遮って、疑うことすらそれは彼女を冒涜しているようなものだ、から始まった話に目が胡乱なものになる。どうやら俺は言葉選びを間違えたらしい。
今この場にいない彼女は仕事に出ている。何時にどこで待ち合わせ何を運ばされているのかなんてことは情報屋の俺としては調べればすぐにわかることだ。
顔の見えない相手の容姿を散々褒めそやし、心根の美しさを讃え、そんな相手と結ばれている自分の幸運をそれはそれは幸せそうな顔で滔々と語るのをはいはいと生返事しながらも聞いていたのは、止めるよりも話すに任せたほうが終わるのが早いと経験上知っているからだ。
一通り話し終えた新羅が満足したのかふう、と一つ息を吐き白湯を口にしたのを見てからぽつりと呟いた。
「相思相愛で羨ましいね」
「いくら羨んでもセルティは渡せない」
そんな真顔で言われなくても欲しくない。あんな化け物を愛せるのはこいつくらいのものだ。
数年前から人くさくなったとは言え、伸縮自在どころか形まで自由に変えられる武器を持つような相手に惚れるような悪食はこいつくらいのもんだよ。でも悪食であることは新羅は自覚しているし、他人の意見なんてこいつにとってはどこ吹く風だということもよく知っている。十年以上の付き合いは伊達じゃない。
「そんなことは言ってないだろ。……ただ、そうやって相手を盲目的に信用できるのが少し羨ましいなと思っただけさ」
ソファにもたれながらそう呟くと新羅はそうだねぇ、と相づちを打った。
「臨也の人間性を理解しているならそれはもう、絶対に信用しちゃいけない存在の第一人者として君を認識しているはずさ」
「何? お前もそう思ってるって言いたいの?」
「まさか。私はそもそも君を信用しないといけないようなこともないしね。俺にはセルティがいればそれ以外はどうでもいいよ」
「友達がいのないやつだな」
俺の言葉に新羅は小さく笑う。これくらいの距離感を保っているからこそ長年一緒にいられるのだとは思うが、本当にこいつはブレることなく自分の価値基準を運び屋に置いている。こうやって会話しているのも大方『友人は大事にしろ』という言葉を守っているだけであって、今すぐ俺と縁を切れと言われれば笑顔のまま、君が望むならと切りそうだ。とは言っても、中学生の頃ならいざ知らず、今の俺は多少なりともこいつにとって都合がい存在ではあるから首無しにバレないように細々と連絡は取り合うことになるのだろうけどさ。
この異常なまでに盲目的な人間相手にも年数がかかったとは言えそんな立場をつかみ取ることができたのだから、八つも年下の子供なんて簡単に籠絡できると思っていたのにと思うと自然とため息が零れてしまう。
「辛気くさくなるからため息吐かないでくれるかい?」
「別にいいだろ、これくらい。俺だって煮詰まってるんだよ」
今朝方帝人君と交わした会話を思い出すと眉間に皺が寄る。あの子は昔から、というよりも最初から俺との付き合いは終わりがあるものと決めてかかっている節があった。隣に置いておけばいずれそんな悲観的な発想はなくなるだろうと思ってたのにむしろ拍車がかかってるくらいだ。
「帝人君はさ、俺が好きだって気持ちは疑っていないって言うんだよ」
「へぇ? 臨也の言葉を信じてるなんてね。帝人君はもっと頭のいい子だと思ってたけど、ま、恋は人を狂わせるからね。わからないでもないかな」
「馬鹿言うなよ。俺だって本気なんだから疑われても困る」
「君の口から本気って言葉が出るなんて青天霹靂だね。さすが恋愛は精神病と言われるだけある」
ふむふむと頷きながら新羅はカップに入った湯を口にした。ふぅふぅと冷ますその仕草に不快感を与えないこいつの容姿もある種化け物じみたものがある。
「だけど君がいつになく真剣だっていうのは見てればわかるよ。飽き性の臨也にしてはえらく長い間側に置いているからね」
俺を語れるほど俺を見ているのか、と言いたいところだけど、それこそ長年の付き合いだ。見たくなくても知っていることは多いんだろう。
「それ帝人君に言ってやってくれない?」
「私の言葉を簡単に信じるような相手だったらそもそも君がそこまで気にかけたりなんかしないよ」
それもそうか、と納得してカップからティーバッグを取り出す。ただ味が渋くなる元となりはてたそれをカップソーサーの上に乗せた。
「あの子見てるとさ、それはもういつも必死になって俺の好意を惹こうとしてるのはわかるんだよね。昔はここまで酷くなかったのに……やっぱりダラーズを手放させたのがまずかったのかな?」
そう言った俺の言葉に新羅は顔を上げた。そこに浮かんでいたのはものすごく嫌そうな顔で、ご丁寧にはぁ、とため息まで吐くオプション付きだ。
カタン、とカップを置く音が静かな室内に響く。新羅は背もたれに体重をかけさせると半眼で俺を見つめた。
「あのさぁ臨也。惚気たいんなら最初からそう言ってくれよ」
「んー?」
「おかしいと思ったんだよ。臨也にしては私のセルティへの愛の賛歌を黙って聞いているから、まさか君まで彼女のあの女神のような美しさにひれ伏したのかと内心戦々恐々していたんだからね」
仮にそうなったとしてもこいつは眉一つ動かさずにティーカップの中に劇薬をいれて黙らせるだろうから別に怯えても恐れてもいないだろうに。
「何がダラーズを手放させたのが悪かったのかな、だよ。そう仕向けたのは君だろ? しかも君らしい手口で、手放したのは全部帝人君のせいだって仕立てあげてさ」
「何言ってんだよ。事実だろ? 俺は単におもしろそうな方へ背中を押してやっただけで、押されるまま動いたのはあの子自身さ」
いつだって俺はあくまで指を差してやっているだけに過ぎない。それに唯々諾々と言うことを聞く方が悪いんじゃないか。もちろんそんな理論に納得がいかないと言う人間が大勢いることは知っているし、それは新羅もよくわかっていたらしくまるで諭すように口を開いた。
「君が本気でそう言ってるとは思わないんだけど……ま、一応一般的な目から見た君の行動を伝えておこうか。例え話だけど、臨也がやってるのは目隠ししたまま崖っぷちまで連れていって『さぁ勇気を出して一歩を踏み出してごらん』って言ってるみたいなものだよ。意を決して足を出した途端真っ逆さまさ」
新羅は手の動きだけで落ちていく表現をしてみせる。咎めるでも面白がるでもなく完全な説明口調であるそれに喉で笑う。
「今までだったら落っこちた相手には興味が湧かなかっただろうに。臨也が見たいのは落ちていくときに振り返って絶望とともに見つめる顔だからね。でも帝人君は例外だ」
ふっと息を吐き出すと新羅は立ち上がりそのままキッチンへと向かった。戻ってきたとき手に握られていたのはケトルで、そのまま自身のカップにお湯を注ぐ。いる? と聞かれたそれに首を左右に振って答えた。せめてカップの方を持っていけばいいものをと思うがこいつの家なのだから好きにして当然か。
ケトルを元に戻すとまたソファに腰掛け湯に口つけると新羅は目線をカップに向けたまま先ほどの続きを口にした。
「君が帝人君にやってることは、崖から足を踏み外した瞬間に手を握ったまま離しもせず引き上げることもないまま延々と囁き続けてるみたいなもんだよ。人一人を抱えつづける重みや負担、自分以外なら決してこんな苦労は君相手にはしないだろうってね」
「とんだ極悪人じゃないか。新羅には俺がそう見えているわけだ」
そう尋ねると小さく笑う声が聞こえた。
「伊達に付き合いは長くないからね。臨也の反吐が出そうな人間性はそこそこ理解してるつもりだよ」
その反吐が出そうな人間と長い付き合いをできる時点でこいつの人間性も相当歪んでると思う。俺と同じようにそれくらい自覚しているだろうし、お互いわかった上で友人付き合いをしているのだからこいつほど一緒にいて楽なやつもいないと思うよ。今更そんなことは口にしないし、新羅だってわざわざそんなことを言われた日には『抗生物質でも投与してあげようか?』と鳥肌を押さえながら言ってきそうだ。
「あくまで私がしている話は比喩表現さ。ただ医者の見地から言わせてもらうと、呪詛のように周りの人間がいなくなったのは自分のせいだと言われ続けたら、それはもう自分をひたすら責めるしかなくなるだろうね。でもそれが君のやり方だろ?愛情表現が歪つだなぁと思うよ」
「お前に言われたくないけど?」
思い人を拘束するために大事なものを取り上げて素知らぬ顔をしているのと、形だけとは言え謝罪してみせるのとどちらか誠実か、なんてことは五十歩百歩だとは思うけどこいつにだけはそんなことを言われたくない。
「それはまぁ、ね。ただ私と君が違うのは、セルティは最悪僕だけが側にいればいいと思えることさ。自身が人間ではないからどうしたって人の中で暮らせない自覚が彼女にはある。でも帝人君は違うだろ。他人との繋がりを、集団に埋没する自分を好いていたはずだけど……」
そこまで言うと新羅は納得したように、あぁそうか、と呟きぽん、と手を打ってみせた。やけに演技臭いその仕草に自然と目が胡乱なものになるが新羅はそんな俺に構うことなく言葉を続ける。
「なるほどね。君はただの人であるあの子に君は醜い化け物なんだよと囁いてるわけか。そんな君だからみんな離れてしまったんだ、君の側にいてあげられるのは俺くらいだよ、ってところかな?」
その言葉に知らず口の端が上がってしまう。本当にこいつは長い付き合いなだけあってよく見てるよ。
実際のところ、最初はそんなことをするつもりは欠片もなかった。自分の大事なものを取り戻そうと必死になって足掻いてもがいて、そして掌から取りこぼしていくのを見ているうちに思いついた。
だけどそれくらいの報復はしていいと思うんだよね。俺はお付き合いを始めてからも、それこそ始める前もずっと帝人君のことを見ていたのにあの子ったら平気で視線をふらふらと余所に彷徨わせるんだからさぁ、俺だけを見てほしいと思ってこんな行動に出たとしても責められるものじゃないだろ?
新羅は薄い笑みを浮かべながらティーカップに口をつける俺にさほど興味を持たず、君にそこまで好かれている帝人君には同情するけど、と前置きをしてから口を開いた。
「でもあんまり帝人君を追い詰めないでおくれよ」
「お前が首なし以外の人間を心配するとは思わなかったよ」
まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、カップから顔を上げてまじまじと闇医者の顔を見つめる。新羅は自分のカップに入っている湯ばかり見つめていたが、俺の言葉にこてりと首を傾げ、何を言っているんだとばかりに問い掛けてきた。
「帝人君を心配するのは当然だろ?セルティが気にかけているんだから。臨也が帝人君をどうしようと私には関係ないけど、セルティが心を痛めるような真似はよしてくれ」
その言い方に知らず苦笑が浮かんでしまうあたり、俺はこいつよりよっぽどまともな人間じゃないかと思う。
一見気遣うような物言いに聞こえるが、新羅が言いたいのは『セルティの心が捕われるようなことをするな』だ。帝人君と運び屋は懇意にしているから、あの子に何かあれば首なしは真摯に相談に乗ろうとするだろう。それはもう、新羅にはおもしろくないにちがいない。
「まったくお前はブレないね」
褒め言葉でもあり貶める言葉でもそれを呟くと新羅は当然じゃないかと胸をはった。
「それはもちろんさ。愛する人のために優柔不断になるやつがいるかい?」
「ご高説どうも」
「どういたしまして」
「……………」
「ただまぁ、これは医者でも友人でもなく客観的な意見として言わせてもらうけど」
わざわざそこで言葉を切った新羅はちらりと時計の方に目をやった。
「帝人君はただ落とされるのを待つ子でもないと思うよ。死なばもろともとばかり引きずり落とされないようにね。あぁ、仮に落ちるとしてもセルティの目の届かないところでやっておくれよ」
その言葉に思わず笑ってしまう。運び屋しか見ていないからこそ客観的に人をよく観察している……いや、首無しが気にかける存在を見ているらしい新羅にとってもやはり帝人君は正攻法で上手くいく相手には思えないらしい。
「引きずり落とす、ねぇ……それくらいの執着心を見せてくれればすぐにでも引き上げてやるさ。……なんだよその顔」
新羅は珍しいものを見たと言わんばかりの顔で俺を見つめるとうさんくさい笑みを浮かべた(俺がうさんくさいと思うのだから相当だ)
「いやぁ、君がそこまで本気だったとは驚天動地だ。でもそうか、なるほどね。本気だからこそそんな人道にもとるやり方をとっているわけか」
繰り返し言うがこいつにだけは人の道を説かれたくない(それを口にしたら同じ文句が返ってくるとわかりきっているから言わないが)。
「ま、君が本気なら一応上手くいくよう祈ってるよ。君達の上手く、が世間に認められるものかどうかわからないけどさ」
「それはどうも」
こいつに応援されたところで何の助けにもなりはしないが、こうやって話を聞くだけでもまだこいつは昔と比べて丸くなったと思うよ。運び屋が自分の側から決して離れないとわかっているからこそ妙な自信がついて他人に目がいくようになったのかもしれないけどさ、と思う俺に新羅はところで、と話を変えた。
「そろそろセルティが帰ってくるんだ。さっさと帰ってくれないかな?」
「……はいはい」
確かにもうそんな時間だ。呆れた吐息を零しながら本題であるUSBディスクをテーブルに乗せると新羅はそれをすぐ手に取り白衣の中に放り込んだ。中身はセルティの首の所在について、だ。場所を告げるだけなら口答でも構わないが、どんな機関に回され実験されているかというのはその道の専門の人間じゃ無いとわからないことが多い。紙媒体では処分が面倒だけどデータ媒体なら簡単に持ち運べるし、何よりロックも簡単にかけることができる。万が一首無しがあれを見たとしても一見したらただの医学情報にしか見えないように目くらましもしてあった。
「これの情報料は君の犬も食わないような話を分析した時間、ということでいいのかな?」
「お前ね……ま、いいさ。それくらいの情報ならそんな高くないし」
かと言って安いわけでもないが、そう易々と新宿の情報屋の一番の弱みであるあの子のことを他人に話すこともできないのだからしょうがない。それに他人の惚気と夢の話ほどおもしろくないものはないからね。
「この後は新宿に帰るのかい?」
「当然。俺の帰りを待ってる子がいるからね」
帰らなかったら帰らなかったで黙って自分の家に戻るのだろうけど、せっかく仕事が一区切りしたのだから労ってやってらないとね。焼き鳥でも買って帰ってあげようかなと考えていると新羅が苦笑した。
「一応聞いておくけど臨也、それもわざとなのかい?」
「何が?」
いつものコートを着込み、玄関口で靴を履きながら聞き返すと、やれやれ、と聞こえた。何だよその言い方。
「君のその行動を見てるといかにも健気に尽くしている恋人のように見えるけど、今の帝人君にはたぶんその臨也らしくない行動のほうが恐怖心を煽ってると思うよってことさ」
「……は?」
言われた言葉の意味がわからないから思わず間の抜けた顔でそう聞き返すと新羅は目を見開いた。
「驚いた、無自覚だったのか」
無自覚って何が、と思った言われた意味を考えてみればなるほどとも思う。
俺にとっては恋人を多少甘やかしてるだけの行動も帝人君にとってはただ同情されているだけなのか、はたまた何か企んでいるのかと疑わざるをえないものにしか見えないのか。それも全ては自分自身が愛情を注がれる存在だとは思えなくなっているせいで、そう思わせたのは新羅の言う通り俺だ。
ふぅん、と呟いてから勝手に浮かんだ笑みに、わざわざ俺に気づかせた当人がまたため息を吐いた。
「あのさぁ臨也。帝人君はごくごく普通の子、とまでは言わないけど一般人にカテゴライズしてもおかしくなかったと思うんだよ。あのくらいの年頃なんてもっと自分に自信を持ってもいいものなんだからそうやって価値を貶めるようなことはやめておいたら?」
「帝人君が一般人、ねぇ」
「過去形だけどね。そこまでされて君の側から離れない時点で大分おかしくはなってそうだし」
どういう意味だ、なんて愚問だろう。自分のあれなところは俺が一番よく知っている。
玄関のドアを開け放し、ご忠告どうもと言ってからふと違和感に気づき振り返る。
「その言いぐさだけ聞くとまるで帝人君の心配をしているみたいに聞こえるよ、新羅」
あの子の価値観がどうなろうとそれはどうでもいいことのはずだ。あのくらいの年頃なんて倫理観すらころころ変わるのだし、新羅が口出しするのは妙だ。そう思って尋ねた言葉にやつは肩を竦めた。
「そうだね、セルティが心配するから帝人君の心配はしているさ。あの子が犯罪者にでもなったらそれこそセルティが嘆くだろ?」
「…………」
「自分に価値が無いと思った人間は捨てるものも守るものもないからね。やりすぎるとさっくり後ろから刺されるかもよ?」
過去に俺が刺されたことを揶揄しているのか違うのかわからないが、新羅はそれだけ言うとぐいぐいと背中を押してきた。
「ほら、臨也が無駄話するからこんな時間じゃないか! セルティの尊顔を君みたいな人非人に見せたくないから階段で下に降りなよ。私は君が使ったティーカップ片付けないと」
言いたいことだけ言うとバタンとドアを閉められる。相変わらず自己中なやつだと思いながら言われた通りエレベーターではなく階段を選んで降りた。新羅の言う通り、万が一にも首無しとかち合ったら帝人君のことを色々言われて面倒だ。わざわざ最近は仕事を頼むのにも新羅を通して頼んでいるのだからこんなところでその苦労を水泡に帰させる気はない。
「刺される、ねぇ」
ワンフロア分降りてからなんとなくマンションの外に目を向ける。高い場所から見下ろす街並みは爽快感すらあって妙に浮き立つ気持ちにさせてくれた。
あの子が予想外の行動をしでかすことはよく知っているし、何よりもそんなところを一番気に入っている。手の中で大人しく転がる人間だったらここまで俺が目をかけるわけがない。
「望むところじゃないか」
是非とも犯罪者になってでも俺の手を手放したくないと思うようになってもらいたい。とはいえ、それが俺の手から逃れるための手段だというのなら全力で回避はさせてもらわないといけないけど。
それにしてもそんなことを考えるあたり本当に新羅の言う通り恋に溺れている。だけどまぁ、悪くはないかな。あの子が同じくらい溺れてくれれば言うことは無い。そうしたいからこそ苦心しているのだけど、と自分の健気さに涙が出そうだと思いながら暮れる夕陽を浴びながら階段を降りた。
終