好き好き大好き愛してる!! 後







 帝人君は俺からの連絡にひどく驚いたらしい。電話越しの声は上擦っていたし、監視カメラの向こうでは携帯を落としそうになっていた。それを目にしながら思わず小さく笑ってしまう。
 その笑い声に気を悪くした様子もなく、どうかしたんですか、と尋ねながら帝人君は何故か正座をしていた。さっき誰かと話していたときは楽な体勢をとっていたのに、どうやら俺からの連絡というのはこの子にとって畏まらなければならないものらしい。当たり前か。一介の高校生と新宿の情報屋の距離はそれくらい遠い。たまたま会うのではなく、こうやってわざわざ電話をしてきたとなればなおさらだ。
 身を固くしながらも、それでも非日常を好むこの子の目はきっと今きらきらと輝いていることだろう。しまったな、この程度の画素数のカメラじゃなくてもっといいものを用意しておけばよかったと思いながら、大事な話があるんだけどと口火を切る。息を呑んだような音の後に、何ですか、と問い返しながら帝人君は耳に押し当てた携帯に両手を添えた。
「…………」
 その様子を見ながら唇に曲げた人差し指を押し当て、当初の計画を変更して電話ではちょっと、と告げる。
 本当はこの電話で盗聴や盗撮のことを言うつもりだった。きっと慌てた帝人君がきょろきょろと室内を見回し、自分が困るものの方に無意識に目をやってしまうだろう。
 そんな姿を見てこの子の秘密を暴こうと思っていたけど気が変わった。直接顔を見ながら話すほうがいい。うん、どうせならどうしてそんなことをしたのかと面と向かって憤りをぶつけてくる姿を楽しませてもらって、その後家に帰ってから必死に俺が仕掛けた機材を探す姿を堪能させてもらうことにしよう。そう易々と見つかるとは思えないし、自分で必死になって探すことでそういったよろしくない機械をどこに仕掛けるのが有効的か学べるだろうしね。ダラーズの創始者なら今後のためにもそれくらいの警戒心は身につけたほうがいいだろうし。ここはこの子がのんびりと暮らしていた故郷とは違うのだから。
『電話では困るんですか? あの……ダラーズのことでしょうか?』
 そっと潜められた声に笑みを深くする。その言い方はまずいんじゃないかな、帝人君。わざわざ口に出してダラーズのことか、と尋ねるってことはさ、それ以外の選択肢もあるんじゃないかと自分が想像してしまっていることを俺に露見してるみたいなもんだよ。
 もし本気でダラーズのこと以外にあるはずがないと思っているなら電話では言えないこと、と俺が言った時点で自分からその単語を口にしないだけの分別を持つはずだ。
「言っただろ? 電話では難しい話なんだ」
『…………』
 否定も肯定もしなかった俺に帝人君はしばらく黙った後、どうしたらいいですか、と聞いてきた。
『わざわざ連絡してくれたということは、僕に何か伝えてくれようとしてるんですよね?』
 その言い分に、おや、と思う。えらく俺を好意的に見た言い方をしてるようだけど、俺は君にとって有益な情報しか与えない優しい人間じゃないのに。それはいつも一緒にいる幼なじみが口を酸っぱくして注意しているのだろうけどこの子の耳には入っていないのだろうか。
 ダラーズなんていう無色透明の組織を管理しているわりにこの子に危機感がないのは本当に危ない目に遭ったことがないからだろう。それなら尚更、勝手に信頼を寄せると痛い目を見るよと教えてやりたい。きっと裏切られたと帝人君は思うんだろうな。そう言うときに人が見せる絶望的な表情も、変質してしまう人間性を見つめることもこの上もなく楽しい趣向だ。
「その通りだよ。俺の事務所に来てもらえるかな」
『折原さんの事務所、ですか……?』
「そう。……来れないなら、」
『行きますっ』
 一瞬難色を示すように言葉を淀ませた帝人君に、来れないならどこか外でもいいけどと言おうとしたが途中で遮られた。どうやら行きたくないと悩んだというよりも、突然の申し出にただ戸惑っていただけらしい。
『どこに行けばいいですか? 新宿に行ったらいいんですか?』
 いつ、という言葉が出てこないあたり今すぐにでも来る気なんだろう。それだけ”電話では言えない何か”が気になるらしい。当たり前か。非日常を愛するこの子にとっては新宿の情報屋に誘われるなんておもしろそうなことを逃したくはないことだろうし。
 世の中楽しいことばかりじゃないんだよと思う思考とは別に駅からここに来るための道順を口で伝える。わからなければ電話してくれたらいいから、と伝えて電話を切った。
 時計を見ると八時を少しまわったところだ。今から支度をしてここに来るとしたら、のんびり来ても一時間かからない程度かなと適当に推測しながらモニターに目をやる。そこに映っていた帝人君はぼうっと携帯を見つめていた。
「……?」
 何をしているのかな、と思っているといきなり立ち上がりばたばたと焦ったように準備を始めた。そのときに急ぎすぎたのかパソコンを置いているローテーブルに足をぶつけて呻いていたけど、そこまで急ぐ必要もないだろうに。でもこの様子なら思っているより早く来るかもしれない。
「…………」
 帝人君が家を出たのを見てからモニターに表示されている画面を閉じ、スリープモードに切り替える。一応招く立場としてお茶でも淹れてやるべきだろう。コーヒーか紅茶か。コーヒーでいいか、面倒だし。ときどきあの子はインスタントのコーヒーを自分で淹れて飲んでることがあるから苦手ということもはないだろう。お湯に粉を溶かすだけのあれとは違ってちゃんと挽いた豆を使うけど、味の違いなんてわかるのかな。……わかってもわからなくてもどちらでもいいか。そのことであの子の人生が変わるわけじゃないんだし。でもまぁ、インスタントなんかに舌を慣らすもんじゃないとは思うけどね。
 ケトルにたっぷりと湯を沸かしながら、そうだと思い立ってパソコン本体からUSBメモリを引っこ抜いた、のと同時くらいにインターフォンの音が鳴る。時計を見ると想像以上に早い時間だった。
 おそらくあの子の鈍足でできるだけ急いできたんだろう。そこまでするほど楽しい話じゃないんだけどなぁと思いながらオートロックの鍵を開け、上がっておいでと声をかける。
 それから数分ほどしてからまたインターフォンが鳴り、今度は玄関の扉を開けた。
「やあ。いらっしゃい」
 悪意のなさそうな笑みを向けそう迎え入れると、こんばんは、と挨拶しながらも少し惚けたような顔で俺を見てきた。その態度に首を傾げながらも室内に入るように促す。
「お、おじゃま、します」
 恐る恐るといった様子で部屋に入った帝人君がどこで靴を脱ぐのかと視線を巡らせるのを見ながら後ろ手に鍵をかけた。
「靴はそのままでいいよ。奥のソファに座って待ってて、今お茶淹れてるから」
「あ、すみません」
 促されるまま奥へと進んだ帝人君が一瞬足を止め、うわ、と驚いたような声をあげたのが聞こえる。そのうわ、は部屋の広さについて言ったのか、それとも壁一面をとっている窓の向こうに見える夜景のことで言ったのかはわからないがその声に見えたのは感嘆の色だった。素直にそういうところを見せるあたり、本当に普通の子だなと思うんだよね。
 ちょうどタイミング良く沸いた湯をケトルから注ぎ込みコーヒーを淹れる。確か帝人君はインスタントを飲むときでも牛乳を入れていたっけと思いだし柔らかい色合いになるよう注ぎ入れた。
「お待たせ」
 カップに入れたコーヒーをソファの隅っこにちょこん、と座っていた帝人君に差し出す。ありがとうございます、と礼を言いながら受け取った帝人君はすん、と香りを嗅ぐように鼻をひくつかせると一口飲んだ。
「美味しい……」
「それはどうも」
 思わず口にしたらしい言葉に笑みを浮かべてそう返し、帝人君の位置と直角になる角度に座る。人間が一番安心して話せる角度が九十度だって言われてるせいでどうも無意識にこの位置に座りたがる癖が俺にはあるらしい。別に治さないといけない癖だとも思わないから別にいいんだけどさ。
 しばらく無言でコーヒーを飲み、本人に気付かれない程度に帝人君を観察する。急いで出てきたらしい帝人君はさっき俺が見ていた服の上にコートを身につけただけのラフな服装だ。あの服のまま外食(とは言ってもラーメンとかファーストフードのような財布に優しいものばかりみたいだけど)に行くこともあるから外に出て行くのに不自然ではない格好だ。鞄は持ってないから財布だけポケットに入れてきたんだろう。後は携帯くらいかな。コーヒーを吐息で冷ます姿は童顔のせいかひどく幼く見える。カップを見る目は伏し目がちなのに睫毛はそう長いようには見えない。特別整った容姿をしているわけじゃないとは思うが仕草と相まってかわいらしく見えた。
 やっぱりモニター越しに見ているよりこうやって本人を前にしたほうがいいなと思う。何がいいって、観察しやすいという意味で、だ。それ以外に理由なんてあるわけない。
「……あの」
 意図的にこちらから話しかけずにいたせいでできた沈黙に耐えきれなくなったのか、帝人君はカップから顔を上げ、俺をまっすぐ見ると口を開いた。
「話って、何ですか?」
 濃い藍色が射抜くように俺を見つめる。元々人と話すときは目を見て会話をする、あまり物怖じはしない子供だ。だけどダラーズが絡むとその目にこの年頃の子に似つかわしくない、静謐さのようなものが混じる。その強い目は悪くない。
 もうこれからこの目を見ながら話すことはなくなるのだろうと思うと惜しいような気もしたが俺は自分の探求心を抑えるほど遠慮深い人間でもない。
 その目に鷹揚に頷き、先ほど懐にいれたUSBメモリを帝人君に見えるようにテーブルの上に置いた。
「これは?」
「盗聴して録音した音声と、盗撮した動画が入ってる」
「…………はい?」
 盗聴やら盗撮といった聞き慣れないであろう不穏な単語に帝人君の眉間に皺が寄る。その姿を見ながらことさら優しげに微笑みかけてやった。
「俺が君の生活を監視していたデータだよ」
 え、と声をあげて帝人君が俺の顔を見る。ぱちぱちと瞬きを繰り返すその目は俺の言葉の意味がわかっていないようだ。
「ここ最近……二週間くらい前からかな? 君の部屋に監視カメラと盗聴器を仕掛けさせてもらったんだ。駄目だよ帝人君、あの家はセキュリティが甘いんだからもっと用心しないと。ま、俺も気を遣って仕掛けたからバレないだろうとは思ったけどさ。それにしても本当に気付かないままずっと過ごしてるからどうしようかと思ったよ」
 俺の言葉を聞きながら目の前の子供はゆるゆると視線をまたUSBメモリの方にやる。その顔に何の表情も見えないのはたぶんまだ思考が追いついていないからだろう。何か言おうとしてゆっくり口を開いた帝人君は、どうして、と呟いた。
「ああ、監視してた理由?」
 問いに頷くこともしないこの子はもしかしたら無意識に疑問を口にしていたのかもしれない。上手く頭が回っていないらしい姿を、それほどのショックを与えられたことに満足しながら理由を口にした。
「覚えてるかなぁ、帝人君。俺は君に聞いたよね。何か隠してないかって。隠し事なんかないって君は言ってたけど、そんなはずないよねぇ?」
 あたかもその隠し事を知っているかのような言いぶりをしたのは呆然としているこの子に自分から口を滑らせるためだ。
 コーヒーをのんびりと飲みながら告げる俺はさぞ余裕があるように見えるだろう。何も情報を掴んでないなんてこの子にわかるはずもない。
 じっとUSBメモリを見つめる帝人君の、カップを持つ細い手がカタカタと震える。
 もしかしてものすごく怒ってるかな。あの中身を顔面にぶちまけられるくらいの覚悟は当然あるけど、今淹れたコーヒーちょっといいやつなんだよね。波江さん、経費で落とすって言ったとたんやたらと高いの買ってくるようになったし。その分味はもちろんいいんだけど。
「それって」
「ん?」
 ぎゅ、と帝人君が唇を噛んだ。さっきまで無表情だった横顔に徐々に朱色が差してきたことに首を傾げたが、ああそうか、この子は怒るよりも先に恥ずかしくなっているのか。勝手に私生活を覗いていた憤りよりも、覗かれていたことに対する羞恥の方が先にくるなんて本当に普通の子供らしい。だけどそれだけじゃないだろ、帝人君。
「それって、聞いていたってことですか」
 無理矢理口から押し出すように問われた言葉にくす、と思わず音にして笑ってしまう。その笑い声にすら反応するように細い身体が震えた。
「そう言ってるんだけど?」
 人間自分の許容範囲外のことが起こるとそれから身を守るためになかったことにしようと意識が働くことがあるらしい。だけど今更全部嘘でした、なんて嘘を言ってこの子の強ばりを解く気はない。だから確認するように、彼の生活音は全て聞いていたのかという問いに肯定してやった。
「ど、どこ、まで」
 よっぽど聞かれていたことを認めたくないのか何とも妙な質問をしてくる。
「どこまでってそんなの全部に決まってるだろ? 何、恥ずかしいことでも思い出しちゃった?」
 とは言ってもこの子の生活なんて清貧そのもので、社会のルールに反したことをしでかしたり一人の部屋で突然奇行に走ったりなんてこともなかったからバラエティ性には欠けるんだけどさ。
 だけどそういう羞恥は本人にしかわからないこともある。その証拠に帝人君はボン、と音でもしそうな勢いで首まで真っ赤になってしまった。
 一体何を思い返しているのやら、と黙ってその姿を笑みを浮かべたまま眺めていると帝人君は指を震わせたままそうっと自分のカップをテーブルの上に置いた。そのまま持っていたら溢してしまうと思ったのかもしれない。確かにそれくらい帝人君の態度は挙動不審極まりないものだ。
 そこまで恥ずかしがるようなこと何かしていたっけとこの二週間のことを思い返そうとするよりも先に、帝人君が気持ち悪くなかったんですか、と聞いてきた。
「何?」
「だから、折原さんは……気持ち悪くなかったんですか?」
 気持ち悪いって何がだろうか。自分から他人の生活を覗いておいてその生活パターンがおかしいと思わなかったかと言いたいのかな。人を愛している俺としては、むしろ個性があまり見えない帝人君のノーマルなライフパターンにはむしろ飽きていたくらいなのに(相手がこの子じゃなかったらたぶんとっくにやめていた)。
 それくらいこの子が気にかけている行動がどれかわからない。だから何が? と尋ねてみた。
 後にこのときのことを思い返して当時の自分に言いたいことがある。
 よくこのときに、何が、と突っ込んだ質問をしたと。
 勝手にこうだろうと推測をたてて先を言わなかったなと。
 帝人君は俺の予定通り墓穴を掘るような、俺のまったく予想外の言葉を口にした。
「だから、僕が、折原さんで抜いてたことです」
「…………ん?」
 カップを傾けようとした手をぴたりと止める。
 今、何てこの子は言ったんだろうか。
 ゆっくりと視線を上げたのは混乱して止まりそうになる思考を少しでも動かすための時間稼ぎだ。相変わらずテーブルの上を睨みつけるように見ている帝人君はそんな俺の様子に気付かない。
「見ていたんでしょう? 僕がその……あなたの名前を呼びながらしてたところ、とか……」
 ぎゅ、と指が自身のズボンを握りしめ皺が寄る。力を込めすぎて震える指や恥ずかしさから真っ赤になってる首や耳に頬を見ていると嘘をついているようにはまったく見えない。
 帝人君から目を離さないままカップの中身を一息に飲み干す。熱いとは思ったけどそれどころじゃない。
 何だよそれ、何でいきなりそんなこと言い出すんだよ帝人君。それってつまり俺をおかずにしてたってこと? いつ、だってずっと俺は君を見てたけどそんなことしてる様子は一度も、と思い返してはたと気付いた。
 そういえば俺はこの子が布団に入ってしまったら監視カメラの映像も音声もモニターに映らないようにしてしまっていた。そのときにやっていたのかもしれない。録画は自動的に外付けのHDDに保存するよう設定していたから残っているはずだ。後で確認してみないと。あの細い指で自分を慰めながら俺の名前を呼んで、俺に触られるのを想像していた帝人君はどんな顔をしていたんだろう。今のように顔を真っ赤にして苦しげに浅い呼吸を繰り返していたんだろうか。
 それを想像したときに真っ先に浮かんだのは嫌悪感ではなかった。それよりも早く顔に火でもついたかのように熱くなる。音をたてないように慎重に、ゆっくりとカップをテーブルの上に置いた。
 ああそうか、なるほどね。
「へぇ、そう」
 顔はこんなに熱いのに口から出た言葉は自分でも驚くほどいつも通りだ。その普段と変わらない俺の声に帝人君が怯えたようにぐっと唇を噛んで眉間に皺を寄せるのを見ながら席を立つ。
「俺が君のことを監視してたのは二週間くらい前からだけど、一人でするときに俺をおかずにしてたのはいつから?」
 帝人君が座るソファの後ろに足音をわざと立てるように歩いた。問いかけながらこっちを見ようとしない帝人君に確認するように指を折って数を数える。
「俺と君が直接会ってから一年も経ってないんじゃないかな。四月に初めて会ったから、それからもう十ヶ月か。会った日数を寄せ集めてみても大した時間にはならないと思うけど、君くらいの歳だったらそれくらいの短期間で想いを寄せるようになってもおかしくないよねえ!」
 両手を拡げその場でくるりと回って見せた。我ながら何とも無駄な動きが多いものだと思う。思うけどしょうがない。どうも俺って機嫌が良くなると動作が増えるみたいなんだよね。大抵はそんな俺の様子を見て苛立つ相手を見るのが楽しいからやってるんだけど今は違う。ただただ浮かれていた。
 この子が気になって仕方なかったのも、飽きるような単調な生活をずっと見続けられたのも、友人や紀田君相手に屈託なく笑っている姿が気に入らなかったのも全部全部ただ俺の心がこの子に捕らわれていたからだとようやくわかった。ずっと探していたパズルのピースがパチリとハマったんだからはしゃいだってしょうがないだろ? それも俺だけじゃなく、この子も同じ想いを寄せてるなんてまるで作り話のようによくできてるじゃないか。歳も職業も価値観も違う、それも同性の相手と想いを寄せ合えるなんてとんでもなく低い確率だよ。
 自分で一年も経ってない、とは言ったが恋に落ちるのに時間って本当に必要ないんだね。この子のことがやけに気になりだしたのは秋頃からだけど、でも考えてみれば俺はずっとこの子をネットで見守っていたんだし、そのときからすでに芽生えていたのかもしれない。
 俺はわりと自分のことはわかっているつもりだったんだけど、まさか恋をした相手だから帝人君のことが気になっていたなんて。そんな発想は微塵もなかったからこの子は何か大きな秘密があるから注視したくなるんだと思いこんでいた。いやぁ思いこみって怖い。帝人君はこんな風に言ってこなかったら一生気付かないままだったかも。ま、言うきっかけを作ってあげたのは俺だけどさ。
「帝人君」
 上機嫌であることを隠さずに名前を呼び、彼の座るソファの背もたれに腰かけた。上から見下ろすと、じっと下を向いているこの子の朱に染まったうなじが見える。そこに口づけたい、顔を寄せたらきっとすごくいい匂いがする。
 コクリと喉が鳴る。それをしちゃいけない理由なんかないよね、だってこの子は俺が好きで、俺だってこの子のことをそういう目で見ているのだから。
 だから早速とばかりにそのあまり太くない喉に手を伸ばした。後ろ髪の生え際をなで上げ繰り返し唇を押しつけて痕をつけてやろうとか、そういうことを思っていたはずなのに俺の指が触れた瞬間にあげた帝人君の声に思わず手を止めてしまう。
「わ……っ!」
 触られるとは思っていなかったんだろう。咄嗟に出てきた声は驚いたから出たようだけど、慌てて首の後ろをかばいながらに身じろぐその姿に笑みが浮かぶ。
「帝人君、もしかして首弱い?」
「え、いえ、そんなことは……」
 じゃあ俺に触られたからそんなかわいい声をあげちゃったの。ちゃんと言わないと俺の都合のいいように解釈しちゃうよとさらに手を伸ばすと帝人君は慌てて俺と距離をとった。
「何、何するんですか! 折原さんっ」
 何って君がいつも妄想してることとそう遠くないことをしようと思ったかな。うなじに触りたくなったのは突然の衝動だったけど、そういう反応をするならもっと色々してみたくなって当然じゃないか。
 だけどそれよりも先に言うことがある。
「臨也」
「はい?」
「臨也でいいよ。呼んでごらん?」
 笑みを浮かべたまま告げた俺の言葉に帝人君は顔を引きつらせた。
「え、な、なんでいきなり名前を……」
「だって一人でするときは名前を呼んでたんじゃないの?」
 見てたわけじゃないから実際どうかはわからないけど、想い人をおかずにするなら普段呼ばないような親しい呼び方をしてしまうことなんてよくあることだ。そしてそれはビンゴだったらしく帝人君の顔にさらに熱が乗る。その表情に笑みが深くなるのがわかった。
 そんな風にあまり無防備に感情を表に出さない方がいいよ、俺以外の前では。
「ほら、呼んでみなよ」
「え、いえ……」
 唇を噛んでまで呼ぼうとしないのは恥ずかしがってだろうか。俺がいいって言ってるんだから羞恥なんて感じる必要はないのに。でもこういう他人と近すぎる距離感に慣れない様子は嫌いじゃない。
「帝人君」
 我ながら甘ったるいなと苦笑したくなるような声で名前を呼び、背もたれを乗り越えてソファに膝をつく。僅かなきしむ音にさえびくりと反応する身体が愛しいなと思った。それをそのまま態度に表すようにゆっくりと腕を掴む。帝人君は俺と目を合わせず下を向いたままだ。
 顔を上げてほしい。さっきみたいにまっすぐこちらを見ればいいのに、そんなに恥ずかしいんだろうか。
「ね、顔上げて?」
「…………」
 幼い子供のように首を左右に振る姿にしょうがないなと思いながら紅くなった頬にちゅ、と音をたてて唇を押しつけた、途端。
「ひ、やっ!」
 俺の手を振り払うように帝人君は掴まれていた腕を動かすとようやく俺のほうに目を向けてくれた。だけど驚いたように丸くなってる目はどこか怯えのようなものが滲んでいて、どうしてそんな顔をされるのかわからない。
「何? 頬にキスされたくらいでどうしてそこまで嫌がるの」
 呆れ混じりに言った言葉に帝人君は言葉に詰まったようにう、とか、え、とか意味にならない声を出す。
 再度腕を掴もうと手を伸ばすと慌てて帝人君は俺から距離をとろうと身体を動かしたけど、ソファの肘に阻まれてあまり意味がなかった。なんだかこれ、俺が追いつめてるみたいに見えるんだけど。
「い、嫌がるのって……そんなの、何で折原さ、」
 また名字を呼ぼうとするのでそれを遮るように人差し指を帝人君の唇に押し当てる。
「臨也って呼べってば」
 頑固だなぁ、もう、と笑いながら言ったが帝人君は無言でじっとりとした視線を返してくるだけだ。その目が少し拗ねているように見えたから宥めるように耳を撫でると肩を竦め、これも嫌なのか俺の手から逃げようとする。
「こーら」
 それを許さずにソファの上に細い体躯を抑えつける。もちろんあまり力を入れすぎないようにだ。痛めつけるのは本意じゃない。
「な、何で、こんなことするんですか」
「何でって、帝人君が逃げようとするからじゃないか」
 俺の応えが気に入らなかったらしく帝人君はきゅ、と唇を噛んだ。さっきから何度も強く歯をたててるけど、そんなに力をいれたら切れちゃうんじゃないかと心配になる。
 だからあまり噛んじゃだめだよと親指の腹で唇をなぞると大げさに帝人君は身体を震わせ、俺から目を逸らして唇に触れていた手を押しのけた。
「そうじゃなくて、何で僕が逃げたがるようなことをするんですかって、聞いてるんです」
 その問いにこてりと首を傾げた。そもそも俺にとってはどうしてここまで帝人君が逃げようとするのかがわからない。俺の指や手を想像して自慰をしていたのならこれくらいの接触どうということはないだろうに。
「俺にしてみれば帝人君が嫌がることのほうがおかしいと思うんだけど。ねぇ、君はどういう風に俺に触られることを想像していたわけ?」
「――!」
 ば、と勢いよく帝人君がこちらに顔を向けた。ぱくぱく、とまるでまるでエサを求める鯉のように口を開閉させる態度は何か言いたいけど言葉にならないという彼の心情をよく表している。落ち着かせるために両頬を手で包むと、高い音をたててその手を払いのけられた。
「あなたには関係ないじゃないですか!」
「……は?」
 関係ないって、そんなわけないだろ。だってこの子は俺を想っていろいろやってたんなら俺は当事者なわけだし、何よりこうやって触るだけで拒絶されるんならこの子の妄想の中の俺はどんな触れ方をしていたんだよ聞きたくなってもしょうがないじゃないか。
「何でそんなひどいこと言えるわけ? 君は俺をおかずにしてたんだろ? 何、もっと優しく触れば満足するの」
「そんなこと言ってないじゃないですか! も、もういいからそこから退いてくださいっ」
 癇癪を起こしたように暴れようとする身体は片腕だけで押さえ込める。
 本当にこの子、貧弱だよね。男子高校生としてこの筋力の無さはいかがなものか。もしかしてこの子懸垂とかまともにできないんじゃなかろうかと心配になってくる。かと言って俺より腕力が強くなるなんて事態は遠慮願いたいところだ。この必死になって暴れても俺に適わないっていうのが、なんだろう、ものすごく庇護欲をそそるのと同時に嗜虐心を煽ってくる。これはこの子にとって無自覚なんだろうか。
 嫌だとか離してと叫ぶ帝人君の体力がなくなるまでずっとこの無意味な抵抗を見ててもいいかなと思ったが気が変わった。
「え、やっ、なに、や……やだっ」
 ソファに身体を押しつけたまま空いた手でコートのボタンを外していく。驚いた帝人君が止めようとしたけどそんな邪魔はあってないようなものだ。もしかして本気では抵抗してないんじゃないかと思えてくる。やだやだって口でしか言えてないよ。
「やめ、やめて、折原さんやめてください!」
 さっきから何度も言ってるのにこの子も意固地だな、と思いながらも下の名前を呼べと言うのはやめた。仏の顔も三度までって言うけど俺はもう二回も言ってやったんだ。この子が名字じゃないと呼びたくないというのならもうそれで我慢してやる。俺ってば健気だよね。
 コートの前を拡げ、よく知っているシャツの裾に片手を突っ込むとぎゃあ、と色気のない悲鳴が上がった。そんな声にすら反応しそうになる自分に目眩がしそうだ。恋って怖い。
「何する気ですか?!」
「ここまでやってわかんないの?」
 どれだけ鈍いんだよと上から帝人君を見下ろす。
 もしかしてもっとちゃんと順序を踏んであげたほうがいいのかなとはちらりと思ったけど、俺で抜いてるって言うんならちょっとくらい触ってもいいよね。
 ちょっとで済ませる自信はあまりないがこの子がどこまで俺相手に想像していたかも知りたいし。
「わからないです! そもそも折原さんは僕相手にこんなことして気持ち悪くないんですか?!」
 全然、むしろ興奮するくらいだ、と口で言うのは簡単だ。簡単すぎておもしろくない。
 だから帝人君に微笑みかけてやり顎を掴んだ。
 びく、と震えた彼を安心させるように微笑みかけ、そのまま口を押しつける。帝人君の唇は冬場だからか乾燥してかさついていた。今度リップクリームでもプレゼントしてあげようと思いながらその少し皮がめくれそうな部分を舐める。
「んっ、んーっ」
 至近距離で見つめる目が白黒していた。あ、もしかして初めてだった? 初めてが好きな相手で良かったね、と視線に込めて告げたが混乱している帝人君にはあまり伝わっていないらしい。
 このまま舌を突っ込んだキスをしたかったけど初めてならもう少し後にしてあげようと唇を離すと、ぷは、と帝人君は息を吐いた。鼻で呼吸しておけばいいのにどうやら止めていたらしい。
「い、いま、」
 こくりと喉を鳴らす帝人君の頬にまた唇を押しつけると今度は嫌がらなかった。それよりもとばかりに衣服が引っ張られる。今のはどういう意味だと聞きたいらしいけどそういうことはちゃんと自分の頭で考えてくれないと。
 少し呼吸を荒くさせながら見つめてくる視線に込められた疑問には答えずにシャツの中にいれた手を動かす。薄い腹筋を撫でるとぴくりと反応が返ってきたが帝人君は俺の手をシャツ越しに止めてきた。
「待って、待ってください、その……今の、は」
 そんな期待のこもった目で見てくるくらいなら答えなんて分かり切ってるだろうに。わざわざ言わせようとするのは意地が悪いと思う。だから笑って何も言わないでいるのに帝人君は諦めようとせず、じっと俺の言葉を待っていた。掌の下で呼吸の度に薄っぺらな腹が上下する。
 この手を無理矢理引きはがすのは簡単だけど、と思いながらささやかな意趣返しを口にした。
「あのね、帝人君。俺に質問するならさっきの俺の疑問に答えてくれる?」
「? 何のことですか?」
 自分が聞かれたことは都合よく忘れているらしい。
「さっき聞いただろ。どんな風に俺に触られるの想像してるのか、ちゃんと教えてよ」
 ぐ、と顔を近づけて問いかけると帝人君は覿面表情を変えた。そんな眉尻を下げて泣きそうな顔しなくてもいいのに。それともそこまで言うのをはばかられるようなプレイでも考えてたんだろうか。それならなおさら聞いてみたい。
 この子の脳内を全て知りたいという欲求に駆られるのはやはり恋にとち狂ってるからに違いない。
「や、やだやめて、ください」
「だーめ」
 俺の質問に答えようとしない帝人君の身体に止めていた手を滑らせる。指の先に当たった突起をひっかくように爪をたてると俺の身体を挟み込む太腿が震えた。
「ねえここ触られることは想像したの? こんな風にされてた? それともつまむほうが好き?」
「やだ、知らないっ」
 爪をたてた場所を撫でるように今度は指でこねながら聞くと帝人君はぶんぶんと頭を左右に振りながら、こんなふしだらな想像はしていないと主張した。
 ふうん、そうか。男の子だから胸を触られることなんか想像したことないのかもね。男の乳首だって立派な性感帯なんだけど、この様子だと開発する必要は無いみたいだし今は積極的に触らないでいてあげようかな。ここあんまりいじると敏感になって、ぽってりと膨らんでくるんだよね。今は冬だけど夏になればプールがあるし、そのときクラスメイトにこの子がからかわれるのもかわいそうか。それを理由に水泳を休むと言い出すのもいいんだけど、ま、それはおいおい考えることにしよう。
「ねえ、じゃあこっちを触られる想像しかしてないの?」
 シャツの中に突っ込んでいた手を下肢に伸ばし足の間にそっと触れる。引きつったような声をあげて慌てて俺の手を引きはがそうとしてきたけど、今更そんなことをしても勃っているのはすぐにわかった。過敏に反応している姿に知らず顔が緩む。
「ちが、違う、これは、」
「わかってるよ」
 なんとか俺の手を止めようとする細い両手首をひとまとめにして握り抵抗をふさいだ。そうやっているのは俺なのに、帝人君はまるで助けを求めるように俺を見上げる。その縋るような目に勝手に浮かんだほほえみを向けて、できるだけ優しい声で囁いた。
「好きな人に触られたら嫌でもこうなるものね?」
 俺の言葉に帝人君は何か言おうとしたのか緩く口を開ける。それを狙って手のひらの下の性器を衣服ごとぎゅ、と握った途端高い声が上がった。その耳に心地よい音を聞きながら手を動かす。たぶん帝人君の下着の中、精液でぐっちゃぐっちゃになってるだろうな。帰るときは下着と服を貸してあげたほうがいいかもしれない。
 俺に握られている両手はなんとか離してもらおうともがいてるけど、性器を弄ばれているせいでうまく力が入らないらしい。唯一抵抗らしい抵抗は繰り返されるやめて、と、やだ、という言葉だけだけど擦れた声で言われるとまったく正反対の意味にしか聞こえない。
「帝人君、気持ちいい?」
「……い、くないっ」
 まるで子供のような言い振りに思わず笑い声が漏れた。これだけ反応してて気持ち良くないなんてよく言えるよねえ。
「そう? こんなになってるのに気持ち良くないの?」
 浅い呼吸を繰り返しながらも俺の言葉に左右に頭を振ったがそれってどういうつもりなんだろう。もしかしたらもう何を言われているのかよくわかっていないのかもしれない。それなら都合よく解釈させてもらおうかな。
「じゃあもっと気持ち良くしてあげるね」
「や、いやっ、だめ、あ、んっ」
 部屋着であるジャージのウエストはゴムだったから簡単に手を滑り込ませることができる。潤んだ目が咎めるように俺の手を見て、とっさにそれを止めようと腕を動かしたけど俺に掴まれているせいでそれもできない。
 直接触ったそこは俺の想像通り先走りで濡れていた。その体液を塗りこめるように上下に擦ってやると細い腰がわずかに浮く。
 無意識なんだろうけど、それって誘ってるようにしか見えない。
「帝人君、ね……自分で触ったのはここだけ?」
「や、あ……あ、う、んぅっ」
 手を止めずに尋ねたがそれどころじゃないらしい。でもそうか、この子は他人にこうされた経験なんてないだろうし、それなら満足に受け答えできなくても仕方ない。
「しょうがないなぁ」
 ちっともそう思ってない声音で呟く。我ながらやけに浮かれた声だとは思うんだけどこの子にはそれすらもわからないんだろう。
「じゃあ一回達かせてあげるから、ちゃんと言いなよ?」
「ひ、あ、あぁぁあっ」
 敏感な先端を少し乱暴なくらいの力を込め親指の腹で擦ってやると、帝人君はあっさりと濃い体液を吐き出した。繰り返し身体が痙攣する。全部を搾り取るように手を動かし最後の一滴まで吐き出させてあげた。
 嬌声が細いものになり、浮いていた腰がソファに沈むのを見てから手を取り出す。べったりと指についた体液を確かめるように指の腹を擦っていると帝人君が自分の手を引っ張った。もう拘束している理由はないので大人しく手を離してやると、顔を隠すように両手を頭の上で交差させる。口から漏れ出る呼気は震えていた。
「大丈夫?」
 身体を伸ばし汚れていない方の手で短い髪を梳くように撫でる。そんなわずかな刺激にすら感じるのか帝人君は首を竦めて小さな呻き声をあげた。呻き声、というにはかなり色っぽいけどさ。
 改めて帝人君を見下ろすとシャツは胸までたくし上げられ、下衣は中途半端に性器が見えるか見えないかの位置までずらした状態だった。そうしたのは俺なんだけど、この貧相な身体がまるで供物か何かのように力をなくしている姿を見ると、どうも下半身にくるものがある。少年趣味はないはずなんだけどなと思ったすぐ後に、でも恋人の嬌態を見て反応しないほうがおかしいと撤回する。そうそう、好きな相手なら食事しているだけでもいやらしく見えるものだ。
「……ちょっと待っててね」
 額に唇を一つ落としてからそう言い置き立ち上がる。ちょっとだけ、触るだけ、と思っていた心はどんどん加速していた。
 階段を上がり、洗面所で手を洗ってから視線を巡らせる。目当てのものを見つけてそれを手に取った。冬場は乾燥するからボディローションが必要なんだよね、服を着るだけで静電気がたつとかどれだけ乾燥してんだよとは思うけどさ。
 本来の用途とはかけ離れたことに使おうとしているボトルを手に鼻歌交じりに洗面所のドアを開け、階段を降りようとしたときに目に入った光景に慌てる。
 何故か帝人君はふらふらと玄関へ向かおうとしていた。
「え、ちょっと帝人君?」
 慌てて階段を早足で駆け下りると俺の声にびくりと反応した細い身体が急いでドアから逃げようとする。だけど運動音痴のこの子に追いつけないわけがない。
 玄関のドアを開けようとした帝人君の腕を後ろから引っ張る。伸ばした手はドアノブを空回り、それでも俺から逃げようとむずがる子供みたいに暴れた。
「離してくださいっ」
「何、ちょっとなんでいきなり」
 さっきまでソファであんなにやらしい空気を醸し出してたくせにコートを羽織りもせず掴んだまま帝人君は、嫌だ、もう帰る、もう嫌だと俺の手をふりほどこうとする。
 話をしようともしない態度に苛ついたのは俺だってそう我慢がきくわけではないからで、自分だけ気持ち良くなった途端帰ろうとするこの子に腹が立ったせいもあった。その不機嫌さがため息になってそのまま口から転がり出ると帝人君が唇を噛む。あぁまた、そんな風にしたら傷がつくってと心中で言いながらその口に手を伸ばすよりも先に目の前の子供は口を開いた。
「あなたには遊びかもしれませんけど、僕にとってはそうはならないんです!」
「……はぁ?」
 突拍子もない話に思わず間の抜けた声が出る。俯いたままのこの子が眉間の皺を狭めるのがわかった。
「折原さんは慣れているから余裕があることくらい僕だってわかってます。でも、だからってこんな」
 その後は何か言葉を探すように帝人君は斜め下あたりに視線をやった。そこにあるのは床だけでこの子を助けてくれるようなものは何もない。
「ふぅん?」
 言われた言葉を頭の中で巡らせ掴んでいた腕を引き寄せる。嫌がっても膂力が弱く喧嘩もあまりしたことのないこの子が上手く抵抗できるはずもなかった。
「何、余裕なのが気に入らないの?」
 俺だって気を遣ってるのにさ、と付け足した言葉は拗ねているようにしか聞こえない響きを持っていたけど実際そうだ。こっちは帝人君が初めてだからと色々自制して、わざわざスムーズにできるようにローションまで取りに行ってさ。緊張して身を縮こまらせているのを丁寧に緩めてやろうと思ったのにそっちがそんなことを言うのならもうやめた。
「そん、」
 たぶん、そんなことじゃなくて、とかなんとか言おうとしたんじゃないかなぁと思う。でもそれが言葉になるよりも先に無理矢理下を向いている顔を上向かせて唇をふさいだ。
「んっ、んんっ!」
 驚いた帝人君が離れようと身体を押してくるのを許さずに抱き寄せる。右手は俺に掴まれたままのこの子が片手だけで俺に対抗できるわけがない。でも腕の中にしまい込もうとしてもじたばたと暴れられて上手くいかなくて、その上せっかくキスしてるのに顔を背けようとするから細い身体を壁に押しつけた。痛みに呻く声が聞こえたけど知るもんか。
 今度は顔を離せないように後頭部に手を回し唇を押しつけた。逃げたがる身体を押さえ込みながらも口の中に舌を差し込むと、間近で青みがかかった目が見開くのが見える。本当はこういう深いキスだってもうちょっと後にするつもりだったのに、と思っても今更だ。
 柔らかい口内を舌でなぞり、歯列をたどるように舐めると俺の身体をどんどんと押していた手が止まる。代わりにぎゅう、と服を掴まれた。それされると伸びるんだけど、なんて雰囲気を壊すようなことは言わない。
「ん、ふ、う……んぅっ」
 当たり前だけど舌を絡めたキスなんてしたことがないらしい帝人君はただただ俺にされるがままだ。自分から舌を差し出すなんてこともできないんだろう。それを咎めるつもりはないし、ゆっくりキスの仕方を教えるのも悪くない。
 粘着質な音を響かせながら怯えて縮こまる舌を丁寧に舐ってやると何かを訴えるように服を引っ張られる。無視をしても良かったがあまり強い力じゃなかったので、その控えめな仕草に少し胸が高鳴りゆっくりと唇を離した。
 なに、と吐息が唇に触れる距離で尋ねるとずるりと帝人君の身体から力が抜ける。へたりと床に座り込んだ姿から察するにどうやら腰が抜けてしまったらしい。俺がそこまで上手いとは思えないから(下手でもないと思うけどね。経験はこの子よりよっぽど豊富だし)やっぱり慣れないせいでこうなっちゃったんだろう。自然と顔が緩みそうになるのをこらえながら視線を周囲に巡らせる。
 床に座り込んだ帝人君はさっき揉めたときに床に落としたコートを中途半端に尻に敷いてしまっていたけど本人は気づいているのかいないのか。上気させた頬を隠しもせずになんとか呼吸を整えようと必死になってるからたぶん、気づいてないんだろうな。
 俺が探していたものはそのコートの隠れるみたいにしてそこにあった。ここが玄関じゃなくてせめてソファの上だったらローションのボトルを机の上に置くくらいはしたんだけど。ああでももしかしたらそういうことをするのがこの子の言う『余裕のある態度』に映るんだろうか。そうは言ってもこの子より長く生きてる分経験は豊富だし、雰囲気を大切にしてあげたいと思っても無理ないと思うんだよね。当の本人がそんなものいらないっていうからもうやらないけど。
 へたり込んだ帝人君の足の間に膝をつけ、床に落ちたローションのボトルを手にとると帝人君は訝しむように俺を見上げた。
 薄く開いた唇からは細い呼吸が漏れ、そのどこかかよわい印象に嗜虐心が疼く。丁寧に、とか、大事に、という思いよりもこの子を泣かせてみたくなる衝動に駆られ、それを我慢することもなく実行すべく帝人君のウエストのゴムに手を引っかけた。
「ま、待ってください何してるんですか?!」
「見ればわかるだろ?」
 引っ張る俺の力に対抗するように帝人君が自分のズボンを握りしめる。ここまでされてわからないなんて言われたらどうしようかと思ったけど目の前でローションのボトルを左右に振ってやると、帝人君は耳まで真っ赤になって俯いた。
「ねえ、俺にされること想像してたんでしょう? それならいいじゃない」
 初めてが玄関だなんてどうかと思うけど、非日常が好きなこの子ならそれもある種のスパイスくらいに受け取ってくれるんじゃないだろうか。自分の都合のいいようにいいようにと思考が働くのは早くこの子を貪りたいからだ。服の隙間から見える日焼けのない白い肌とか見てるとかどうにも下半身が重くなってくる。
「よ、くない、です」
「…………」
 抵抗されると苛立ちとは別に妙に追い詰めたくなるのはどういった心理なんだろうか。
 なんとか自分の身を守ろうと、正確にはズボンを守ろうとする帝人君の下衣から一度手を離すとあからさまにほっとした様子を見せた。やめてもらえると思ったのかもしれないけど、そう俺が聞き分けがいいわけがない。これから長く付き合っていくことになるんだから帝人君にはそこのところちゃんと知っておいてもらわないとね、と思いながら油断している彼に唇を押しつけた。
「んぅ……っ」
 咄嗟のことで避けられなかったらしい彼は俺に退いてくれと言わんばかりに胸を押してきたのでそれにほくそ笑みながら空いている手をズボンにかける。ずるりと引き下ろすと慌てた帝人君がそちらに手をやった。
 頑張らないと脱がしちゃうよ、とキスの合間に囁き、反論される前にまた唇でふさぐ。ウエストがゴムのボトムはぐいぐいと引っ張ると、床に腰を落ち着けていてもインナーごと脱がすことができた。
「ほら、脱げちゃった」
「……っあ、や、あ」
 嫌だと言うわりにさっき出させてあげた性器はまた勃ちあがり、触ってもらうのを待ってるみたいだ。だけどそこには触れてあげずに、中身を性器にぶちまけるようにローションのボトルを逆さにした。
「や、つめた……!」
 本来なら手である程度暖めてからぬるついた指で触ってあげたりするんだけど、あまり余裕のあるところは見せないほうがいいらしいので手順をすっ飛ばしておく。帝人君が冷たさから逃げるように腰を動かすからローションがとろりと流れた。どうやらその感触にすら感じるらしく性器がひくりと震える。それを隠すように足をなんとか閉じようとするので両膝を掴み無理矢理広げさせた。そうすると勃っている性器も、ローションが流れてひくつく後孔も視界に入ってくる。なかなか良い眺めだよね、この体勢。
 自分のとらされた体勢がいかに卑猥か気づいたらしい帝人君は顔を真っ赤にすると暴れだしたので、それを大人しくさせるべくローションで濡れた後ろに中指を押し込んだ。
「ひ、あぁっ!」
「……あれ?」
 ぐちゅぐちゅと音がするのはこの子が垂れ流している先走りとローションのせいだけど、その音をさせている場所に違和感を覚えながらも指をもう一本押し込む。その瞬間にびくんと細い身体が震えて足が引きつったように床を蹴った。
 人差し指と中指で中を広げるように動かしながら首を傾げる。何かおかしいな、と思いながらその疑問を帝人君に聞いてみることにした。
「ねえ、帝人君」
「や、いや、あ、んっ」
「いやじゃなくてさ、ここ」
「ひ、うっ」
 中を広げるように人差し指を中指を開く。でもそこは思ったよりも広がらず、むしろぎりぎり指二本を銜え込んでいるような状態だ。
 この子俺をおかずにしてるって言ってたよね。それなのにどうしてこんなにここが狭いんだろうか。もしかして後ろをいじるような自慰はしたことがなかったとか? そのわりにこちらに指を挿れられることに驚いてる様子はないし、ちゃんと快感も受け取っているみたいだ。
 帝人君が一人でここをいじって遊んでるんならすぐに挿れられるかなって思ってたんだけどこの様子だと難しいかな。
 ねえ狭いんだけど何で、と指を動かしながら聞いたが帝人君はちゃんと答えてくれない。しょうがないから一度指の動きを止め、再度同じ質問をすると狼狽えたように目を彷徨わせた。その態度が何かを隠しているように見えて気に入らない。
「ねえ、なんで? ちゃんと言わないとずっとこのままだよ?」
 帝人君はその言葉に泣きそうな顔になった。この状態のままが辛いのは俺も同じなんだからさっさと言ってほしい。そう思ったのが伝わったのか、帝人君はつっかえながらも言葉を絞り出した。
 曰く、後ろに指はあまり挿れたことはないのだそうだ。もちろん大人の玩具のような類いも使ったことがない。というのも、どうにも後ろでするのは前を擦るのとはまったく違う快感に襲われるので怖いらしい。
 その言葉に思わず目を瞬かせてしまった。気持ちいいのが怖いって珍しい言い分だと思うんだけどねぇ。
「だ、だから、やだ、もうやです」
 お願いだからこれ以上しないで、やめてと訴えてくる帝人君に微笑みかけてやった。それって逆効果だよと教えてやるためにもう一本指を押し込む。その瞬間上がった高い声は確かに嬌声で、気持ちいいというのは嘘じゃないらしい。
 後ろだけでこれだけ感じられるのは才能だよね。そんなことを言うとこの子はたぶん泣きそうな顔をするだろうから言わないでおいてあげるけどさ。
「あ、やぁ、あ、あっ」
 指が中の、少しふっくらとした部分を擦った際に出た甘い声にくらりと頭が揺れたような気がした。眉を寄せて快感に耐える帝人君の顔から下に視線を向ける。指を銜え込んでるそこは三本だけでいっぱいいっぱいのようにしか見えないけどときおりきゅうと搾り取るような動きをする暖かい中に早く挿れたくなる。
 怪我をさせないようにするならもうちょっと慣らしてあげたほうがいいんだろう。でもローション使ってるからこれくらい広げてやれば平気かな。……たぶん、大丈夫だよね。
 指を引き抜く瞬間にあがった声は感じ入っているもので、中に俺のを入れたらそれはもう帝人君はいい声をあげてくれるに違いない。その想像だけで爆ぜてしまいそうな自分のものを取り出し、ひくつく後孔に押し当てた。
「あ……あ、やっ、待って」
 腰を掴まれたことで何をされるか察したらしい帝人君が制止の声をあげた。それに苦笑を浮かべる。
 曖昧な笑みに俺が待ってくれる、と勘違いしたらしく、安心したように笑んだ顔がかわいいな、と思った。
「無理、待てない」
「へ……あ、あ、ああああっ」
 油断して緩んだ細い身体の中にゆっくりと俺のを押し入れる。やっぱりあれくらいじゃ慣らすのに時間が足りなかったのか、痛いほど帝人君が締め付けてきた。
 自分でたくさん遊んで俺が慣らす余地がまったくないのも興ざめだけど、こういう手間がかかるのが男同士だと面倒だなと思う。思うけどそれでもこの子がいい。
 きつい中を何度か揺らして慣らしてやりながら一番奥まで押し込むとずっと高い声をあげていた帝人君がなんとか呼吸を落ち着かせようと大きく深呼吸を繰り返した。固い床をひっかく姿は何かに助けを求めてるようだったのでその手を掴み、自分の背中に回させる。途端にぎゅうとしがみついてきた姿に充足感を覚えた。
 そうそう、何もしてくれない床なんかに助けを求めずに俺に縋り付けば良い。
「大丈夫?」
 まったく大丈夫には見えない姿にそう声をかけてやるとやっぱりぶんぶんと首を左右に振った。
「お、おなか、くるしいです……」
「痛くはない?」
 俺にしがみついたままこくこくと帝人君は首を上下させたのでそれにはほっとした。ぎちぎちに締め付けるそこを乱暴に擦り上げたい衝動にかられるが、さすがに初めてでそこまではできないので鼻をすすりながらしがみつく帝人君の頭を撫でる。耳元で繰り返される浅い呼吸とか、爪がたてられてるせいで痛む背中とか煽る要素はいくらでもあったがここまで自制できるのはやっぱり愛があるからだよね、なんてことを考えてしまうのは恋に溺れてるせいだろうか。恋愛は精神病とはよく言ったものだ。
「ん、んっ、あ……」
 少し萎えてしまった帝人君の性器を擦ってやると気持ちよさそうな声を上げる。一度出していいよ、と耳を緩い力で噛みながら先端に爪をたてた。
 射精するのと同時に繰り返し締め付けてくるそこにひきずられないよう細い身体を抱きしめ、どろりとした体液を手で受け止める。もちろん全部手に収まることはなくて、溢れた分は俺の黒いシャツにこびりついた。
 だけどそれを気にする余裕なんてない帝人君は射精の余韻に浸るように甘い吐息をこぼすだけだ。そのぐったりと力を抜いた身体を抱えなおし、床に押し倒す。
「な、なに……?」
 仰向けになった帝人君を真上から見下ろしながら唇を寄せると、今度は嫌がらずにちゃんと受け入れた。抵抗しても意味が無いとわかったのか、単に気持ちが良いから深く考えずに受け入れたのかはわからない。キスできるなら理由なんてどうでもいい。
 片手で帝人君の顎を掴み、動かせないようにしてからゆっくりと腰を動かした。
「んっ、んうっ」
 達ったばかりで過敏になった身体には酷だろうなぁとは思うが俺だってもう限界だ。一度帝人君が射精するまで我慢したんだから俺だって気持ち良くならせてもらいたい。
 きっと口を開けば嫌だとか、やめてとかかわいくないことを言うだろうからと塞いだ唇からは案の定不満を訴えるような呻き声が聞こえたが、それを無視して中を何度も擦り上げた。





 結局帝人君の中に三回ほど出させてもらった後ぐったりと動きたがらない細い身体を抱えて二階に上がり、油断すると眠ろうとする帝人君の頬を叩きながら風呂にいれてあげた。
 中のものを掻き出すときにはやだと弱い力で抵抗してきたけど、それ以外はされるがままだった恋人に俺のシャツを着せてベッドに連れ込んだときは大人しくしていたんだ。むしろ抱き枕のように抱きしめながらシーツと毛布の間に一緒に入ったときはこれでようやく寝れる、と言わんばかりに瞼を閉じたくらいだ。
 それなのに。
「帝人君ってそういうことする子なんだ」
 細い腕を掴んだまま不機嫌さを隠しもせずに呟いた俺の声に帝人君はき、と睨み付けてくるだけだ。
 翌朝目が覚めたのは、腕の中の存在がもそもそと動いたからだ。
 今日は平日だったからこの子だって学校があるだろうと寝る前につけていたアラームはまだ鳴っていないから自然とこの子は目を覚ましてしまったにちがいない。俺の腕から出たがるのはトイレにでも行きたいからだろうと大人しく腕の力を抜いてやった。戻ってきたらまた抱きしめればいいと、そう思っていたのに帝人君はベッドに両足を下ろすとベッド脇のチェストの上に置いていた衣服を手に取り着替え始めた。このまま放っておいたら帰ってしまいそうな雰囲気だ。だから慌てて狸寝入りをやめて腕を掴み、何やってるのと聞いたわけだ。
 普通初めて同衾した翌日って相手の顔を見ながらピロートークの一つでも楽しむものだろ、恋人を満足に作ったことがない帝人君は知らないかもしれないけど、と詰るのは心中だけに留めておいた(俺が嫌味を口にしないなんて自分でもびっくりだよ)。
 俺の問いに帝人君はすぐに、帰るんです離してくださいと言い出した、やっぱり帰る気だったんだと落胆が心に浮かぶ。初めての翌日なんて気まずいのはよくわかるけど、それでも恋人を放って帰れるなんて意外にこの子は淡泊なのかもしれない。
 はぁ、と零れたため息に怯えたように掴んでいた手が震えた。
「そ、そんな嫌そうにしなくてもいいじゃないですか。僕は、帰るって言ってるのに……」
「帰るって言うからため息吐いてんだろ」
 もうちょっとそれらしい余韻を楽しみたいのにこの子はわかってない。知らないのなら教えてあげるべきなのかもしれないけど、寝起きで俺だってそう機嫌はよくなかった。それなのにこんな嫌がらせまがいのことをされればため息くらい出るに決まっている。
「……何で帰ったらダメなんですか」
「何?」
「どうして帰らせてくれないんですか」
 もう十分僕で遊んだでしょう、いい加減にしてください、と告げられた固い声に眉を顰める。遊んだって何が。昨日無理をさせたことを弄んだと言いたいんだろうか。だけどあれは帝人君が余裕ぶった俺が気に入らないとか言うから、それなら俺は俺のペースでやっただけじゃないか。それに文句をつけられても困るんだけど、と言うよりも先に彼は妙なことを言い出した。
「あなたに好意を向けてくる相手なんてきっと捨てるほどいるんでしょう。それくらいわかってます。ぼ、僕がその大勢の中の一人だっ、」
「何それ」
 訥々と語る内容があまりに素っ頓狂すぎて言葉を途中で遮ってしまう。この子が俺を高く買ってくれてるのはわかるし(そうじゃないと好きになんかならないよね)好意を告げられるのは悪い気はしないけど、大勢の中の一人ってなんだよ。
「帝人君、なんでそんなこと言うの。その他大勢と同じだって俺が君のこと思ってるって言いたいの?」
「い……っ」
 思わず手首を掴んでいる手に力をこめてしまう。痛みにあげた声がかわいそうだと思ったのは一瞬で次に続けられた言葉にそんな思いも吹っ飛んだ。
「だってそうでしょう? そうじゃなきゃあんなことするはずないじゃないですか!」
 痛みから逃れたいのか、俺の手を振り払おうとするから逃がさないように自然と手に力が入ることになる。だから帝人君はなおさら手首に圧力を感じる訳なんだけど簡単に離れてくれない俺の手に癇癪でも起こしたかのように帝人君は声を荒げた。
「あなたにとっては僕の思いなんておもちゃにしてもいい程度のものかもしれませんっ。僕の生活を監視してたのだって暇つぶしか何かのつもりなんでしょうけど、僕はそうじゃなくて、そんなのじゃなくて……っ!」
 言いたい言葉が上手く形になってくれないと言わんばかりに帝人君はぐ、と口に力をいれた。藍色の双眸がじっとりと俺を睨み付けた後にゆっくりと目を閉じた。
「あなたにはどれだけ言っても無駄なんでしょうね。あんな風に人の気持ちを弄べるんですから」
「……あのさ」
 俺が口を開くと帝人君は閉じていた両目を開け、なんですか、と投げやりに聞いてきた。その態度どうかと思うんだけど、今言いたいのはそっちじゃない。
「おもちゃとか弄ぶとか、何言ってるの?」
「……」
 俺の言葉に反論はなく帝人君はただただ視線に忌々しいと言わんばかりの感情を込めてきた。そんな目をされると俺だって傷つくのに。
「何、昨日のやり方が気に入らなかったわけ? それでそんなに怒ってんの? でも帝人君が言い出したんじゃないか。余裕綽々な態度が気に入らないって」
「そんなこと言ってるんじゃないことくらいわかってるんでしょう」
 どうもわざと話の中心をずらして会話しているようにしか思えない。何でそんな言い方するの、と呆れを多分に含んだ吐息をこぼした。
「あのね帝人君、いくら俺でも好きな相手にそういう態度をとられて平気な顔できるほど面の皮が厚いわけじゃないんだけど?」
「あなたのメンタルのタフさは太鼓判を押し……は?」
 なにやら失礼なことを言いかけた帝人君は途中で言葉を止めると眉間に皺を寄せた。
 そんな不審そうな顔をされるようなことを言った覚えがない俺はその反応に首を傾げながら、何、と問いかけた。
「え、いえ、今あの……変なこと言いませんでしたか?」
「何が? 恋人にせっかく初夜の雰囲気を台無しにされて平気な顔できるほど図太い神経してないって言っただけじゃないか」
 帝人君は俺を誤解しているらしいから、こういうことをした朝はちゃんと側にいてもらいたいことを言っておかないと。今後また同じ事をされたら目覚めが悪いにもほどがある。だと言うのに帝人君はえ、え、と戸惑ったように言うだけで俺の言っていることをちゃんと理解しているのかも怪しい。
「恋人って、え? 何、え?」
「…………帝人君?」
 うろたえた声をあげながら帝人君が空いている手で口を隠す。じわじわと彼の耳元が赤くなっていった。
「ねぇ、まさかとは思うけど……俺の気持ちわかってなかったの?」
「わかるはずないじゃないですか!」
 叫ぶように返ってきた反論に今度は俺が驚く番だった。
「何でわかんないの、普通分かるだろ」
「本気で言ってるんですか? どう見ても面白半分にちょっかい出したようにしか見えませんよっ」
「面白半分で男に手を出すように見えるわけ?」
「臨也さんならそれくらいしてもおかしくないです!」
「は、それどう、」
 売り言葉に買い言葉のような応酬を繰り広げかけたが帝人君の口から出てきた俺の名前に思わず口を閉じてしまう。ようやく呼んでくれた、と緩みそうな俺とは対照的に目の前の子供はしまったと言わんばかりに息をのんだ。
「ねぇ、帝人君?」
「……な、なんですか」
 猫撫で声を出す俺に警戒するように帝人君が一歩後じさる。腕を掴まれているから大して距離をとることができない彼に、ぽんぽん、とベッドの上を叩いて座るように促した。
「ちょっと俺達、誤解が生じているみたいだからゆっくり話合おうか」
「話すだけならここじゃなくてもできるでしょう」
 ベッドの上に上がらないようにしているのは何をされるのか色々考えてしまっているからだろう。
 昨晩あれだけしたのだから、本当に話をするだけでいいと思ってたのに期待されたらしないわけにはいかないじゃないか。
 せめて学校に欠席の連絡ができる程度には手加減してあげよう、何せ愛があるからねと言いながら引き寄せる手に抵抗する帝人君は昨晩のように嫌だ、とは言わなかった。
 代わりに臨也さん、待ってくださいと少し焦ったように名前を呼ぶ声に笑いかけると、う、と呻く声が聞こえた。
「ずるいですよ……そんな顔、しないでください」
「こんな顔させてるのは帝人君だろ」
 返した言葉に彼はまた苦悩の塊のような声をあげたが渋々といった体でベッドに上がってくる。その細い身体を抱きしめると恐る恐るという様子で背中に腕が回ってきた。昨日のような切羽詰まって掴まれるのではなく、きちんと理性のある状態で抱きついてくる姿が可愛くてならない。そんな頭の緩んだことを思う自分に笑いたくなった。なったが別に、まあいいかと思う。
 腕の中の帝人君はやはりふてくされたような顔をしていて、臨也さんはわかりにくいんですよと文句を言った。その言葉に俺はわりとわかりやすいと思うんだけど、と反論するとため息が返ってくる。だけどその吐息は諦観と共にどこか満足げに聞こえ、なんとなく腕の中にしっくりと収まる身体を抱きしめたくなった。





 さて、話し合いの結果帝人君は『恋人ならさっさと盗聴器もカメラも外してください』と言えるくらいには俺の愛情を信用してくれたわけだけど(それはもう言葉と態度で示したので)それにはにっこりと笑顔をつけて、社会勉強だと思って探してごらんと返しておいた。
 胡乱な目をした子供は文句を色々つけた後に家に帰り、どうやら本気で探し回って取り外しをしたらしくパソコンから彼の部屋は見れなくなっていた。
 これからは見たいときには直接本人の家に行けばいいし、声を聞きたいのなら電話をすればいいのだけど、俺に聞かれてるはずがないと信じ切っている帝人君に興味があるので後日、こっそりとバレない場所に盗聴器だけ仕掛けておいたのは内緒だ。マンネリを防止するにはささやかな秘密の一つや二つくらいは必要だからね。
 こうまでして関係を長く続けようとしている俺の愛情が歪んでるような気はするが、そんなことは今更だ。最後にきちんと形になればいいんだからと呟き、パソコンのスピーカーの中にまるで最初からピースの一つだったかのようにしっくりとはまった盗聴器を眺めてから恋人にバレないように部屋を後にした。