ぼくとまたたびといざやさん
※ちとせ飴さんの作品を読まないとちょっと意味がわからないかもしれないです※
まっくろで、つややかで、さわったらものすごくてざわりのいいしっぽはぼくのあこがれだ。ぼくだけじゃなくどんなねこだってそういうにちがいない。ぼくはいざやさんとぼくいがいのねこをしらないけれど、きっとそうだ。だっていざやさんはしっぽだけじゃなくてあかいめもきれいだし、あしおとをたてずにあるくすがたもかっこいい。
それにひきかえぼくときたら、しっぽはみっともなくみじかくてまるっとしてるだけだし、あるくときもとてとてとあしおとをたててしまう。
「帝人君はまだ子猫だからいいんだよ。そのうち足音がたたない歩き方も教えてあげるから」
そういっていざやさんはぼくのあたまをなでてくれるけど、それっていつなんだろう。ちらりとじぶんのおしりにくっついてるしっぽをみてしまうと、はやくおとなになりたいとおもってしまう。ぼくだっておとなになればきっとしっぽがながくなるんだ。まいにちしっぽをせっせとひっぱってるんだからいつかそれがむくわれるとおもう。……いざやさんはそれをみてわらうけどさ。 なぐさめるみたいに、みかどくんはそのままでいいんだよとだっこしてくれるけどぼくはいやだ。
だからいざやさんが『俺が大人にしてあげようか?』といったときはいちもにもなくとびついた。いざやさんはすごい。ぼくをおとなにするほうほうもしってるなんて!
でも、せっかくいざやさんがなにかしてくれようとぼくのまるっこいしっぽにさわったしゅんかん、くすぐったくておもわずわらってしまった。くすぐったいです、といったぼくにいざやさんはちいさくわらって『やっぱりまだ早いかな』といった。
もうぼくはわらってしまったことをすごくすごく、ものすごくこうかいしたのだ。だってあのときわらわなかったら、いざやさんがおとなにしてくれたはずだったのに。
そのあとなんども、もうわらったりしません、じっとしてるからおとなにしてくださいというたびにいざやさんはくろいしっぽをゆらゆらとゆらしながらめをほそめた。
「はいはい、そういう言葉はもっと大きくなったら聞いてあげるよ。今はまだ、ね?」
そうやってあしらわれてしまう。そのことばにぷくーとほほをふくらませるぼくはいざやさんのいうとおりこどもなのかもしれない。でも、だって、ぼくははやくおとなになりたいのに。
どうやったらいざやさんはまたぼくがおとなになるようなことをしてくれるだろうかと、ちいさいあたまをふりしぼっていっしょうけんめいかんがえた。かんがえすぎてねつがでて、いざやさんにかんびょうしてもらったくらいだ。うーんうーんとうなるぼくのすがたをみたいざやさんがちょっとかんがえこんでからもってきてくれたくすりのことはふかくかんがえたくない。ぼくがにがいのみぐすりがにがてだからって、あんなのもってくるなんて。こどもはこっちのほうがはやくきくんだよっていわれたけど、みじかいしっぽをしっかりとつかまれたままくすりをおしりにいれられたときのくつじょくはひつぜつにつくしがたい。ぼくがおとなになったらしかえししなければ。
ほんとうにどうしてこうもいざやさんはぼくをこどもあつかいするのか。くやしいし、かなしい。
あんまりかんがえすぎるとまたねつがでてしまうからかんがえこまないほうがいいとはおもうのだけど、みじかいしっぽをさゆうにゆらしながら(いざやさんがいうにはゆらしているというよりも、ぷるぷるふるえているようにしかみえないらしい)あたまをひねるぼくのしかいに、あるアイテムがはいった。
「…………」
またたび、とかかれているはこをてにとる。またたびっていうのはねこにとってみわくのアイテム、らしい。らしいというのはぼくはまだいちどもこのはこのなかみをみたことがないからだ。だっていざやさんがこれはこどもにはたのしくないからだめだよって言うんだもの、とおもいかえしてからはたときづいた。
このまたたびをたのしめるようになれば、いざやさんはぼくがこねこじゃないとみとめてくれるかもしれない。
それはすばらしいかんがえのようにおもえた。りっぱないちにんまえのねこらしく、このまたたびをあじわっているすがたをみればいざやさんもぼくへのにんしきをあらためてくれるだろう。そうとなればぜんはいそげだ。これをもってるところをいざやさんにみられたらとりあげられてしまうかもしれない。
そうおもってぼくははこをあけ、なかみをとりだした。
▽ △ ▽ △ ▽
「あーあ……」
目の前で気持ちよさそうに喉を鳴らしながら横たわる姿にため息を吐く。
短い尻尾をぴるぴるとふるわせている小さな猫が手にしているのはまたたび入りのぬいぐるみだ。成猫の俺がぬいぐるみなんて喜ぶわけないだろうとそのへんにほっぽり出しておいたのをどうやらこの子猫は見つけてしまったらしい。
「あ、いざやさん」
うっとりとした目でぬいぐるみをかじっている帝人君が隣に座った俺の名前を呼ぶ。三角の耳を揉むように撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じた。
「いざやさん、これ、またたびです」
「ああそうだね、知ってるよ」
ずっと喉を鳴らし続けてるけど大丈夫なんだろうか。ああでもこの子ってわりと簡単にぐるぐる言うんだよね。頭や顎にちょっと触れただけで嬉しそうに鳴らしてさ。それは俺がするから鳴らすのか、俺じゃなくても気持ちよさそうにするのかはわからないけど。確認する気もないしね。だってこの子を外に出す気なんて俺にはない。
ぐい、と小さな手が唐突に俺の服を引っ張ったので何、と尋ねてみると、子猫はとろけたような声でこう答えた。
「ぼく、またたびでたのしめます。もうこどもじゃないです」
「…………」
楽しむってねぇ。君がやってるのはぬいぐるみをかじってるだけでしょう。
確かに少しばかりまたたびに酔ってはいるのかもしれない。喉を鳴らすくらいには心地が良いと思っているんだろう。だけど本来またたびって猫科の生き物にとって媚薬なんだよ。もっと純度の高いちゃんとしたものだったら匂いを嗅ぐだけで腰が震えるような、さ。
だから子猫や去勢済みの猫にはまったく効果がない。たぶん、このぬいぐるみに仕込まれているのはまたたび意外にかつおぶしだとか、そういったものの匂いも含まれているんだろう。猫が喜ぶように。 だけど今のこの状態のこの子に言っても聞きやしないだろう。だから、はいはいそうだね、楽しんでるみたいだねと適当に返事をしておいた。それに帝人君が顔を綻ばせる。
「じゃあ、いざやさんはぼくをおとなにしてくれますか?」
その言葉にぱちりと目を瞬かせる。
そう言えばこの間からずっとこの子はそればかり言っていたっけ。一体何を思って大人になりたいと言っているのかよくわからないけど、それで俺の言いつけをやぶってまたたびと大きく書かれた箱をあけてこんなことをしていたのか。
「あのねぇ帝人君」
「はい?」
寝転がったままの帝人君の小さな手を握ってやる。きゅ、と握り返してくる弱い力が心地良い。
「君、尻尾をちょっと撫でただけでくすぐったいって言ってただろ。だからまだ早いの」
俺の言葉に帝人君はゆっくりとまぶたを上下させ微笑んだ。その顔に少しだけ心臓が高鳴ったのはおそらくぬいぐるみからわずかに漏れるまたたびの香りのせい、なんだろう。なんせ俺は立派なおとなの猫なので。
「もういいません。ちゃんとくすぐったいのもがまんします」
「くすぐったいのは我慢できても、痛いのは嫌だろ?」
「……痛いんですか?」
俺の言葉におびえたように握っている力が強くなる。その反応に気をよくしながら頷いた。
「痛くないようには俺だって注意するけどさ。でも帝人君はまだまだ小さいから、たぶん耐えられないと思うよ?」
この間熱が出たときに座薬を突っ込んだときに本当にまだまだ子供なんだよねぇと思った。だからと言って誰かよその猫を相手にしようとは思わない。この子が大人になるくらいの時間、のんびり待つさ。
帝人君は俺が言った痛い、という言葉を考えているのか眉間にしわを寄せてえらく難しい顔をしていた。痛いのとおとなになることを天秤にでもかけているんだろう。ま、どうせ痛いのは嫌だと諦めるに決まってる。子供は痛みに弱いから、と思っている俺に帝人君は口を開いた。
「いい、です」
「……うん?」
「いたくてもいいです。ぼく、いざやさんならいいです」
一瞬、理性が飛びかけたような気がした。
ぐっと目を瞑ってからもう一度開き、子猫特有の青い丸い目を見つめる。
「………………そう」
何か言ってやろうと思ったけれど結局出てきたのはそんな素っ気ない言葉だった。帝人君は小さく首を傾げているけど、あまりかわいい仕草はしないでほしい。
帝人君が大事に抱きしめているぬいぐるみを掴み、じっと俺を見ていた顔に押しつけた。
「にゃあ!」
ぬいぐるみの向こう側から苦情を申し立てるような鳴き声が聞こえたがそれを無視してぬいぐるみを押しつける。もちろんちゃんと息苦しくないように。
「いざやさん、やめてください!」
ぺちぺちと叩く手はふくふくとして子供らしい。それを見て腹腔すべての息を吐き出すようにため息を吐いた。
「あのね帝人君。その言葉をまたたびなしで言えるようになったら考えてやるよ」
「! ほんとうですか!」
耳がピン! と嬉しそうに立つのを見ながら本当本当、と応えてやる。どうせこの子のことだ、軽い酩酊状態から覚めたらやっぱりいたいのはいやですと言い出すに決まってる。予防接種の注射からだって逃げ回るくせに、痛くてもいいなんてよく言えるよね、まったく。
「やくそく、やくそくですよ!」
「はいはい」
押しつけている俺の手ごとぬいぐるみをぎゅうと抱きしめてくる。
喜ぶ姿はかわいいとは思うのだけど、たぶんこの子はいろいろ誤解しているに違いない。
「そんな無理してすぐに大人にならなくても、そのうち君が嫌だって泣き喚いてもしてやるのに」
ぽつりとこぼした言葉は嬉しそうにしているしている子猫の耳には入らなかったらしい。独り言のつもりで呟いたから当然だ。
きっとこの小さな頭の中にはおとなになったらあれをしよう、これをしようといった願望が渦巻いてるに違いない。
何かが欲しくてたまらないという欲望は子供の特権じゃないんだよ、と思いながら黒い尻尾を床に打ち付けた。
おしまい