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プリティ・ベイベ








 事の発端がわりとどうでもいいことなのはいつものことだ。




「若いよねぇ、帝人君って」

 日常で言われたなら特に気にもせず、それはまぁ、あなたよりは若いと思いますよと返せたと思う。事実僕は彼より八つも年下だし、常日頃からその年の差が生み出すいろいろな格差に不満を募らせつつも、どうやったって縮めることができるものじゃないとため息をつく日々だったからだ。だけど臨也さんが言ったシチュエーションは最悪だった。ベッドの上で、僕が涙なのか涎なのか(鼻水ではないと思いたい)よくわからない体液でぐしゃぐしゃの顔をみっともなくさらけ出しながら、それでもなんとか彼の目から隠そうとしがみついて、下半身に与えられる快感に翻弄されている真っ最中にそんなことを言われればいくら僕が若いといっても、堪えがきかず欲しい欲しいと必死になってすがっている自覚があったとしても面白いと思えるわけがない。しかも臨也さんの声はものすごく笑み混じりだった。それはもう、嘲笑に近いんじゃないかと言うくらいの声色で、僕は頭から冷水をぶっかけられたような気持ちになった。何でよりによってこんなとき言われないといけないのか。僕はこんなにいっぱいいっぱいなのに、臨也さんはそれをこんな揶揄するような余裕があるらしい。それがもう、悔しいのか悲しいのか自分でもわからなくなって、うぅ、と声を漏らすとそんな僕の考えがわかったのかわかっていないのか(わかってるわけがないか)、ちゅ、と音をたてて臨也さんがキスをしてきた。
 そのまま何度も揺さぶられ、中に彼が出したのを感じながら僕は固く心に決めた。そんな風に言うのなら僕だって、我慢ができるところくらいみせてやると。少しくらいいつもこんな風に欲しがる僕の気持ちを思い知るべきだ。……たぶん僕と比べたら臨也さんがそれを実感するのなんて本当に、極わずかだとは思う。それはわかっているけどそうせずにはいられなかった。
 タイミングよく試験期間直前だったから事を終えた後に臨也さんにしばらくはこういったことをしないと告げると臨也さんは、ふぅん、そう、勉強頑張ってね、と言っただけだった。今までは試験前だからと言って僕は一度も彼との接触を断ったことがないのに、こんなあっさりと言われるなんてと少し思わないでもない。ないけど臨也さんがそんな態度なのはいつものことだ。文句を言えば寂しがってほしいの? と面倒くさそうに、もしくはねずみを弄ぶ猫のような顔で言われることくらいわかってる。わかってしまう程度には付き合いが深いことが僕のプライドを保たせているささやかな支えだ。
 臨也さんの性格上本当に嫌なら側にはおかないだろうし、ただ遊ぶだけの玩具ならそろそろ飽きててもおかしくない、と、思う。思いたい、だなんて言いたくない。そもそもこの関係だって臨也さんから言い出したのだ。……僕があまりにも、必死になって臨也さんに振り向いてほしいと目で態度で訴えていたから同情しただけだとかそんなことはない。彼が同情だけで優しくするような人間なら、ここまで彼の悪評はたたないだろう。
 我ながら彼のひとでなしなところがここまでわかっていながらどうしてこんなに臨也さんが欲しくなるのかが理解できないし、もしかしたら彼にとってもそうなのかもしれない。欲しい欲しいと欲しがる姿は、ひょっとして彼にとってはひどくこっけいに映っているのだろうか。若いよね、って笑ったときのように。それを思うと、もうとりあえず、距離をおこう、そうすれば少しくらい僕にも余裕ができるようになるかもしれないとしか考えることができなかった。
 それでも結局のところ、試験最終日を終え家に帰ってきてからまずしたことがが臨也さんに連絡をとろうと携帯の着信履歴を探したことなんだから救えない。
 何度かコール音を鳴らし、通話がつながった瞬間に流れてきたのが留守番電話だったときの自分の落胆っぷりにこれでは本末転倒じゃないかと馬鹿らしくなった。本当に、なんで僕はこんなにあの人の一挙手一投足に振り回されているのか。答えは単純なものだ。だけどその感情のベクトルはどうも僕の方ばかり大きいような気がする。
 つながらなかった電話を手にため息を吐き、思えば臨也さんだって仕事があるのだからと不貞寝をすることにした。一夜漬けはあまり好きではないから普段はすることがないのだけど、暇があるとぼんやりと携帯を見つめて臨也さんから連絡がきてないかと確認してしまうので、勉強に集中していた結果少しばかり寝不足だ。明日も通常通り授業があるのだし(そもそも今日だって他の生徒は午前中で帰っていたのに委員会のせいで遅くなってしまった)ゆっくりと今日は惰眠を貪ることにしよう。
 そう思って押入れから布団を引っぱり目を閉じて数秒、すぐに眠気が襲ってきた。ふわふわとした睡魔に引き寄せられるように目を閉じて、意識が真っ暗になった瞬間は覚えている。
 覚えているが、どうして次に目を開けたときに僕はこんな目に遭っているんだろうか。

「んっ……ふ、あっ」

 後頭部を掴まれ、上からまるで貪るように唇を押し当てられる。口を開けた瞬間ぬるりと舌が入り込んできた。それにささやかな抗議をしめすべく緩く歯をたてると、間近に見える柳眉を顰められる。だけど唇を離すことはなく、咎めるように後頭部にあった手が首の後ろに下りてくる。そのまま持ち上げられると、自然口を大きくあけることになった。

「あ、や……んうっ」

 黒いコートの肩を押し、なんとか上から退いてもらおうとするが僕程度の腕力で押しのけることができるはずもなかった。むしろ彼の舌が上あごを舐めた瞬間にぎゅっと手に力がこもりコートを握りしめてしまったからまるですがりついたように思われたかもしれない。それってものすごく癪だ。至近距離で見つめていた紅い瞳が楽しそうに歪むからその思いはさらに強くなった。勘違いしないでもらいたいのに、慣れた手つきで身体を辿られると甘えたような、男の僕の口から出るにはいささか気持ち悪いと表現したくなるような声が触れ合わせている口の合間から漏れ出る。それが嫌で、臨也さんのフードを渾身の力で引っ張った。

「……何?」

 全力で引っ張ったにも関わらず、臨也さんはほんのわずかに口を離してそう聞いてくるだけだ。苦しそうな素振りもない。息を荒げている僕の精一杯の力なんてそんなものだ。

「何じゃ、ない、で、んぅっ」

 文句を言おうとした僕の口はまた臨也さんに塞がれてしまう。彼の手が首の後ろからゆっくりと耳のほうにまわり、ぐいぐいとフードを引っ張る僕を宥めるように耳殻をなぞる。それにぴくりと身体が震えてしまうのはもう、反射みたいなものだ。臨也さんは僕があまり耳が強くないことをわかった上でこうやって背筋がぞわりとする程度のゆるい力で触れたり、舐めたりしてくる。卑怯だと思う。思うからこそ、僕はフードを引っ張りながら空いてる手でその耳を這う彼の手を掴み、彼と唇を離すべく顔を背けた。

「もう、なんなんですかっ、いきなり!」

 は、は、と必死で呼吸を整える僕を真上から見下ろしながら臨也さんはすぅ、と目を眇めた。あ、嫌な予感がする。この顔はかなり機嫌が傾いたときの顔だ。
 臨也さんとこんなことをする関係になって随分経つが、最近になってようやく彼は僕に対してもこんな風に露骨な態度を見せるようになった。とは言っても、それはベッドの上でだけで、今は僕の部屋の狭い一人用の布団の上だ。

「なんでそんな嫌がるの?」

 一応会話をする気になったらしい臨也さんはさっきのように無理やり僕の口を塞ぐのではなく、僕の顔の両脇に肘をつき至近距離で僕の目を見つめてきた。少しだけ潤んだ目に一瞬息が止まりそうになる。目を合わせていることが落ち着かなく、そろりと視線を逸らすと目尻にキスをされた。そのまま舌がまぶたを舐め上げる。

「……っ、あ」

 そんなふれあいにすら甘ったるい声が出てしまう僕の喉はどうかしていると思う。思うけど、こんな風になったのはそもそも臨也さんのせいだ。僕は悪くない。たぶん臨也さん以外だったらこんなことになったりしないんだから。それを思うと傍若無人に振舞う彼の行動に腹が立ってきた。
 そもそも、何で僕の部屋に臨也さんがいるのかがわからない。いや合鍵は渡してるし、僕だって彼が寝床にしているマンションの鍵はもらっているのだから突然来るというのは今までにも何度もあった。僕だってしたことがある。だけど、さっきは何度かけても電話にでてくれなかったのに、ましてや寝ている僕の口を塞いで起こすなんてことをもしたことがない。もしかして酔っているんだろうかとも思ったけど臨也さんからはお酒の匂いはしなかった。
 何で来たのか、なぜ僕は彼に布団に押し付けられているのか。聞きたいことはたくさんあるのにどれから聞けばいいかわからず黙っていると、臨也さんがもぞりと動いた。

「――っ!」

 思わず睨みつけるように彼の顔を見てしまったのは臨也さんが彼の足の間を……正確に言おう。股間を僕に押し付けてきたからだ。激しい自己主張をしているそれを押し付けられて平静な顔なんてしていられない。うっかり当ててしまったのならまだ許せるけど、ゆったりと口の端を持ち上げる臨也さんにうっかりなんて言葉が似合わないのは火を見るより明らかだ。

「そ、そんなもの押し付けないでくださいっ」
「そんなものってひどいなぁ」

 彼の両手が僕の短い前髪をかき上げる。近い顔をさらに近づけ、秘め事を明かすような声で、いつもこれで帝人君を喜ばせてあげてるのにさぁ、とやけに熱のこもった声で囁いてきた。その言葉に顔が熱くなる。喜ばせてって、別に僕は頼んでもいないのに。いつも真っ最中は訳がわからなくて、ただ彼の名前を呼ぶことしかできない僕が喜んでいると思えるほど僕を観察しているのかと物申したい。申したいがそれはどう考えても蛇を出す発言だ。つつかなくていい藪は触らないに限る。

「な、なんで、そんな風になってるんです、か」

 僕の何の反応も示していない性器に擦り合わせるように臨也さんのものが押し付けられる。それだけで熱が伝染しそうで、くらりと視界が揺れたような気がした。

「……何でって、そんなの決まってるだろ」

 決まってるって、何が。
 胡乱な目で問い返す僕に臨也さんは、本気でわかんないの? と言葉を重ねてくる。別にわからないふりをしているわけでもないのに責めるような言い方が理不尽だと思う。この人の言動が道理に合わないなんて今更だけどさ。
 しばらく無言で睨み合っていたが、はぁ、とため息というにはやけに熱のこもった臨也さんの吐息がそれを止めた。

「あのさぁ……そんな格好してる帝人君が悪いんだろ?」
「は……はぁ?!」

 そんな格好って、僕の格好はなんらおかしいところはない、はずだ。
 最近少し涼しくなったとはいえ、日中長袖を着るにはまだ厳しい気温だ。夜は冷え込むけど、僕の部屋で一際存在感を主張しているパソコンの排気のせいでこの部屋は外温より少し暑くなる。半袖のTシャツを寝巻き代わりに着て何がおかしいというのか。

「上半身は、まぁ、いいよ。さっきから乳首たってるのが丸わかりだけど」

 言いながら視線を胸元にうつそうとするので慌ててその顔を両手で固定する。真上から僕を見る臨也さんは一瞬だけ驚いたように目を開いたけど、すぐに面白そうに、涙袋を押し上げるように微笑んだ。

「顔を掴むのはキスのときだけにしてもらいたいんだけど?」

 臨也さんは自分の顔が僕にどんな効果をもたらすかよくわかっている。その上でくすくすと楽しげに笑ってみせるのだから性質が悪い。意趣返しにと彼の耳を擽るように指を這わせてみたが、彼の表情を崩すことはできなかった。僕のそんな些細な仕草すらおかしくて仕方ないらしい。

「う……」

 じっと潤んだ目に見つめられることに耐えられなくなったのは僕のほうだった。彼の顔から両手を離し、もういいからどいてくださいと彼の身体を押す。それへの返事はたった一言だった。

「嫌」
「なんでですかっ」
「だって据え膳を食べないほど俺は枯れてないし」
「え? な、ひ、ぇ……っ」

 据え膳? 何のことだろうか。意味がわからず眉間に皺を寄せる僕の鼻に唐突に噛み付いてきた。噛むというより、歯で挟む程度の力だけどいきなりそんなことをされれば誰だってびっくりすると思う。
 噛んだ場所を癒すように舐めてから臨也さんの唇が頬に触れ、口の端に押し付けてきてから彼は顔を僕の肩に埋めた。

「あのさ……帝人君、下着だけで寝てるのは誘ってるって思われても仕方ないと思わない?」
「……はい?」

 下着だけで、ってそれの何がおかしいのだろうか。洗濯物を増やしたくないから下はトランクスだけだ。だけどこんなの僕の実家では父さんも風呂上りにこんな感じだったし、正臣が泊まりにきたときだって別になにも突っ込まれなかった。丈も短いものじゃないから短パンみたいなものじゃないか。

「意味がわかりませんよ……」

 本気でそう呟いた僕に臨也さんが、心底呆れた、と言わんばかりのため息を吐く。その反応にむっとして、その勢いのまま言葉を続けた。

「だって、ただのトランクスですよ? 臨也さんだって学生のときに体育で着替えたりしたことあるでしょう? 制服のズボンとジャージのズボンをはきかえるときに他の生徒の下着くらい見たことあるはずです」

 それにちょっと前……いやまぁ、今でもしてる人はいるけど、腰パンを履いて下着を見せ付けるような格好をしている人種だっているじゃないか。もしかして臨也さんはそんな人にまで一々恥ずかしいなぁとか、やらしいなぁとか思ったりしてるんだろうか。

「あのね」

 臨也さんはぺち、と軽い音をたてて僕の額を叩いた。痛くはないけど、なんだかおでこが広いって言われてるみたいなのであまり叩かないでもらいたい。

「それじゃあ俺が誰彼構わず反応する淫売みたいじゃないか」

 淫売とかさらっと口にするあたりが臨也さんらしい。

「臨也さんにならその言葉似合うと思いますよ」

 思ったことをそのまま口にすると、そう、と言って彼は笑った。あまりよろしくない笑みだなぁと思っていると、臨也さんは上半身を起こした。もしかしたら退いてくれるのだろうかと一瞬期待したが、臨也さんが僕の右脚を自分の肩に乗せた。腰が中途半端に浮かされて腹筋が辛いし、彼のコートの白いファーが脚にあたってくすぐったい。抗議の意味をこめて睨みつけると、臨也さんは僕の膝の内側に唇を寄せた。
 赤い舌がのぞいた瞬間、ぞわりと背筋を這った感覚に左足が勝手に布団を蹴る。僕がこんな反応をすることがわかってやっているのだから、この人は本当に自分を魅せるのが上手いと思う。
 緩い力で舐めた場所に歯を立てながらすぅ、と臨也さんの視線が動いた。その先は僕の目ではなく、脚の付け根を見ているようだ。そこにあるのはデザインなんて知ったことかと言わんばかりの、量販店で売られている三枚千円のトランクスしかない。まさかこんなものに臨也さんが欲情するとは思わなかった。例えば勝負下着だとか、そういうものにならわからないでもないが(そんなものを持ってるのなんて女の子みたいだから僕はしないけどさ)こんな一山いくらのトランクスの何がこの人の劣情を引き起こしたんだろうか。

「い、ざや、さん……」

 感触を確かめるように何度も膝の内側に歯をたてる彼の名前を呼んだが僕の顔にその目が向くことはない。そろそろ本気でこの体勢は苦しい。僕が貧弱なことくらいよく知っているくせに。

「い……っ」

 脚を離してくれるよう少し右足を動かすと咎めるように噛み付かれた。たぶん歯型が残るくらいの力だ。まったく、明日体育があるのだからそういう跡を残すようなことはやめてもらいたい。着替えのときに気を遣わなきゃいけないんだから。臨也さんはそういう気配りをするようなシーンなんてないんだから本当に不公平だと思う。

「臨也さん、あ、し……っ?」

 脚を離してもらえませんか、と言いかけたのと同時に臨也さんの、僕の足を抱えているのとは反対側の手が僕の無理やり上げさせられている右足の内腿をなぞった。這うような速度に自然と脚に力がこもる。喉から媚びを含んだ声が出て、それが恥ずかしくてぎゅ、と唇を閉ざした。
 ちらりと視線を上げた臨也さんは僕のそんな仕草に少しだけ口の端を上げただけだ。いつもならやらしい声、とか、もっと声出せば? とか余計なことを言うので何も言われないならそれに越したことはない。だけど、腿の内側の筋を辿るように撫でられることは遠慮したい。また声が出そうだ。
 なんとか彼にかつがれている脚を取り戻そうと動かしてみるが臨也さんは放してくれなかった。そもそも彼の腕力と僕の脚力では僕のほうが劣るということも、まぁわかってはいたけど少し、いやかなり微妙な気分になる。普通脚の力のほうが強いはずなのに。

「押さえつけ方の問題だよ。俺は蹴られるような趣味はないからね」

 喉で笑いながら僕の心中の言葉を読んだような言葉がかけられる。わざわざそんなこと言わなくてもいいのに、やっぱり臨也さんは余計なことを口にする人だ。

「……ねぇ」
「はい?」

 じっと僕の足の付け根あたりを見ていた臨也さんは顔をあげ、眉をひそめながら、本当に気づいてないの? と問いかけてきた。質問の意図がわからず目で問い返すと、ふぅん、と彼は呟いた。

「なるほどねぇ、本当に無自覚なんだ。だけどさぁ、自覚がないから何をしても許されるってわけじゃないよね?」
「あの、臨也さん、言ってる意味がよくわからないんですけど……」

 この人が他人を煙に巻くような話し方を好むのはよく知っている。だけど論点がまったくわからない。頭にクエスチョンマークを浮かべることしかできない僕の目を見ながら臨也さんは笑顔を浮かべた。窓から入る街灯の青白い光が当たって、その笑みを見た瞬間僕の胸のあたりが何かに捕まれたようにきゅう、と痛くなった。ああ、もう、本当に臨也さんってずるい。何がずるいのかと聞かれても困るけど、この人は存在自体がずるいと思う。男の人相手にきれいだなんて思う日が来るとは思わなかった。

「帝人君」

 きっと形にしたらどろりと煮詰めた砂糖のような甘い声が囁く。その声にこくりと喉が鳴った。彼の指が僕の下着の隙間に入り込み、脚の付け根を指先で撫でると臨也さんは一際笑みを深くした。

「あのさぁ、かなり絶景なんだけど」
「は……? え、あっ……!」

 絶景って何が、と彼の顔に見とれていた僕が思っていると、ふに、と性器を指でつつかれた。
 今自分が身につけている下着は通気性のいいタイプで、彼の手が簡単に足元から入る隙間があるもので、僕の足を抱えている彼の視界には、つまり。
 臨也さんが言わんとしていることを理解した途端、ぶわ、と一気に顔に血が上った。

「や、いやっ、みないでくださ……やだぁっ!」

 にこにこと擬音が付きそうな……いや、にやにやのが正しいか。そんな笑顔を浮かべながら臨也さんは僕の脚を離すこともなく、トランクスの隙間から突っ込んできた指で揉むように僕の性器を撫でてくる。

「見ないで、って言われてもね。だから言っただろ? こんな格好してる君が悪いって」

 こんな無防備に大事なところさらけ出してるの見たら誘ってるって思われてもしょうがないって、と言いながらも臨也さんは手を止めてくれない。脚をばたつかせつつ、彼の手を止めようと両手で性器を弄ぶ手を止めようとしたがぎゅ、と力をこめて握られた瞬間動けなくなった。痛くはない。だけど痛いほうがマシだ。

「あっは、これくらいで勃っちゃうなんて。溜まってた?」

 からかうようなその言葉に睨むことで返事すると臨也さんはそれすらも楽しいといわんばかりの顔を返してくる。その余裕しか見えない態度に苛立ったが、さっきの彼の仕草を思い出して無理やり口の端を持ち上げた。

「い、臨也さん、だって、んっ、僕を見ただけで、勃ってたじゃ、ないですかっ」

 ぐりぐりとはしたなく自己主張していたものを押し付けてきたのはどこの誰だ、と問いかけると臨也さんは恥らうこともなく、ああそうだよと言った。

「どっかの誰かさんに試験期間中はしたくないとかわがまま言われてさ。それに付き合ってあげてたんだかこうなるのも当然だろ? 恋人のわがままを大人しく聞いてあげるなんて俺ってば誠実だよねぇ」

 臨也さんが誠実だと言うのならこの世の中には聖人君子ばかりになってしまう。一度彼はその言葉の意味を辞書でひくべきだ。
 この人はいつだってこうやって余裕を見せて、僕を翻弄して楽しんでいるだけのくせに。そんな人間に付き合っている僕のほうがよっぽど誠実で健気じゃないか。
 言いたいことはたくさんあるのに、口を開けたらみっともない嬌声しか出てこないから必死で口を閉じるしかない。彼の手を止めようとしていた両手は今はみっともない声を出さないように口をふさぐので精一杯だ。そのせいで上手く呼吸ができなくて苦しい。だけど声を出すよりはマシだ。ここは壁が薄いからこうやってじたばたと足掻いている音すら階下の人には聞こえているかもしれない。そう思うと熱い頬にさらに熱が乗った。
 そんな必死な僕を臨也さんは上から見下ろして、わざと僕の反応を煽るように手を動かしてくる。どこまで我慢できるのか試すようなやり方に自然と睨む目に険がこもる。

「……ん、うっ」

 ぐり、と彼の爪が僕の先端に立てられ思わず声が出ると、それに何度も繰り返された。やめてほしい、本当に、だってそんなことされたら僕が声を我慢できないのよく知ってるくせに、声を出したくないことも知ってるくせに。
 繰り返し与えられる刺激に腰が震えてくる。もう僕の下着の中は先走りでぐちゃぐちゃになっていて、滑りがよくなってる分快感が増していた。
 抱えられていない方の足で何度も布団の上を擦る。僕がどこをさわれるのが気持ちいいのかをよく心得た手をもっととねだるように腰を上げた途端、ぴたりと臨也さんの手が止まった。

「帝人君はさ、我慢強いよね」
「…………?」

 いきなり何を言い出すんだろうか。普段は堪え性がないと、俺が出すまで我慢できないのと中をえぐりながらからかうくせに。
 胡乱な目で見つめる僕に彼は再度、ね? と確かめるように問い直してくるからなおさら意味がわからなくなる。

「でも俺は帝人君みたいに淡泊じゃないからちょっと我慢できないかも」
「は……?」

 淡泊じゃないから。それはまぁ、そうだろうとは思うけどだけどわざわざ言葉にするほど臨也さんが情熱的かと言われればそんなことは決してない。僕を若いねと事の最中にからかえるくらいの余裕はあるし、どこか彼は自分の性欲も理性で抑えつけるような節がある。高校生の僕よりはそういったことに関する意欲は薄いかもねぇと言われたことだってあった。だから僕だって、別にそんな毎日そのことばかりを考えているわけじゃないと主張するためにも試験期間中はしないと、臨也さんの家にも行かないと宣言したんじゃないか。

「……あの、臨也、さん?」

 笑みを浮かべる彼は考えてみれば、最初からどこか様子がおかしい。こんな風に強引に事に運ぶことなんて彼らしくない。いつも手順を、というか、そういった空気というんだろうか。ムードを重視するようなところがあるのに(僕にしてみればそうったものを気にできることに少しばかり、文句を言いたい気持ちはあるのだけど)。
 疑問符を浮かべながら名前を呼んだ僕の声には、んー? とまるではぐらかすような声が返ってきた。
 少し話をしたほうがいいんだろうか、でも下半身がこの状態で話をするって言ってもまぬけな姿だよなぁと思いながら両手を口から放し、臨也さんに手を伸ばそうとした瞬間するりと臨也さんの手が動いた。

「ひ、あっ!」

 動いた手はまるでそれが自然なことであるかのように僕の後孔を確かめるようになぞる。それに思わず声が出て、慌てて口をまた両手でふさぐと臨也さんが悪い笑みを浮かべたまま、こうのたまった。

「ね、いれたいんだけどどうしたらいいと思う?」

 ひく、と顔がひきつったのが自分でもわかる。いれたいって、いれたいって!
 こんな直裁な言い方をされたことは一度もない。今日の臨也さんはどうしたというのかと混乱する僕をよそに彼の指は隙あらば潜り込もうとするように撫でてくる。

「や、いざやさ……んっ」

 指の先が僅かに入り込むような感触にぎゅ、と目を瞑った。
 口を押さえても荒い呼吸までは堪えきれなくて、ふー、ふー、と荒い呼吸音が耳に入る。自分のいじられているそこがもっと、とねだるようにひくついているのがわかってなおさら恥ずかしくなった。
 したい、と頭の中がそればっかりになる一方、この部屋で彼と事に及んだことがないから潤滑剤になるようなものは何一つないことを考える。こんなことならローションの一つでも用意しておけば良かった。

「帝人君」

 臨也さんが甘やかすような、甘えるような声で僕の名前を呼ぶ。こんな声は色事をしているときしか聞けなくて、僕はそうやって名前を呼ばれることが嫌いじゃない。閉じていた目を開けて彼の紅い目を見つめると、ゆったりと彼の口が三日月のような弧を描いた。

「どうしようか? この部屋だったら何にもできないけど」
「ん……うっ」

 皺の一つ一つをのばそうとするような指の動きに腰が重たくなる。そこをいじってもらうことでどんな快感が得られるかを教えたのは他でもない、目の前のこの人だ。だからどうすれば僕が反応するかなんてよくわかっている。
 それが気に入らないと思う余裕なんてもう僕にはなかった。

「臨也、さん……あし、」

 あしをおろしてください、と震える声で頼むと彼は目を細めて、さっきはどれだけ暴れようとも放してくれなかった脚を解放した。
 浅い呼吸を繰り返しながら上半身を起こし、座る臨也さんの両足をまたぐように膝で立つと彼の手が僕の腰にするりとまわされた。膝立ちしてる分僕のほうが彼を見下ろす形となり、上から見る彼の顔は珍しいなと思う。

「……臨也さん」

 名前を呼びながら顔を近づけると、彼は少し顔を傾け僕の唇を受け入れる。臨也さんの唇を舐めるとすぐに彼の舌が絡んできた。粘着質な音をたてながらキスを繰り返し、震える両手で臨也さんのベルトをゆるめる。ボクサータイプの下着を引きずりおろし、硬くなった彼のものを撫でると少しだけ眉間に皺が寄ったのが見えた。それに少し気分が上向きになるのを感じながら自分の下着をおろし彼の性器に擦りつけると臨也さんが目を眇めた。

「は……なるほど?」

 キスの合間に間近で囁かれた熱のこもった声に耳が熱くなる。やらしい、と多分に吐息を含んだ声は唇を押しつけることで応えた。
 やらしいなんて言われてもこうするしかないじゃないか。ここにはスムーズにことを進めるためのものは何もなくて、でも僕も臨也さんももう出さないと収まりがつかないくらい熱がこもってしまっていて。あのまま黙って臨也さんにされるがままにしていたら何をされるのかわかったものじゃない。我が家の数少ない調味料に手を出されたり、棚に置いてある食用油を持ってきそうだし(そんなことになったら今後食事の度に思い出して死にたくなるに違いない)。
 それをわかった上で臨也さんは、どうしようか? と聞いてきたんだろう。もし僕が彼の興を削ぐような、例えば熱が冷めるまで離れていろとかそういう提案をしていたら今頃どうなっていたことか。まぁ、僕だって彼が隣に、同じ空間にいたらどれだけ待っても熱が冷めることなんてないのだけど。

「ん、ん……っ」

 舌を擦り合わせながら、右手を彼の肩に、左手で僕と臨也さんの性器をひとまとめにするようにして擦る。正直口内からの刺激が気持ちよくて手はおざなりになってしまうが臨也さんがそこに手を回してくることはなかった。
 彼の手は僕の腰を撫で、そのまま背骨、尾てい骨と順番に撫でながら下着に潜り込んでくる。それを止めないのは自分の手が塞がっているからだと聞かれてもいない言い訳が頭の中をよぎった。

「ふ、あ、あっ、ん」

 男の身体でも比較的柔らかい臀部を揉まれ、後孔が何かをしゃぶるように蠢くのが自分でもわかる。欲しい、と思った。そこに今擦り合わせている彼のものを押し込んでもらえたらものすごく気持ちいいのに、それなのにいれることができないということにすら下半身がはしたなく反応する。

「んぅっ……ん、あ、う」

 彼の指がまたひくつくそこに触れる。あまりいじられると、痛くてもいいからと中にいれてもらいたくなるのでやめてほしい。最中は痛みですら快感になってしまうけど終わってからはじくじくと痛むそこに悩むことになるのは僕一人だ。
 彼の指から逃げるように腰を動かすと、自然性器を押しつけるような体勢になってしまう。臨也さんの目が楽しそうに歪むのを上から見つめた。
 僅かに口を離し、何か言おうとした彼の口をすぐに塞ぐ。どうしていつも臨也さんはこんなに、もうすぐ出るっていうぐらい高ぶっている状態でもぺらぺら口を回すことができるのか不思議でしょうがない。この人から話術をとったら悪辣さがだいぶ薄れてしまうような気もするけどさ。……そうなったらそれはもう臨也さんじゃないか。

「ふ、あ……あっ」

 考え事をして意識を下半身から散らそうとする僕をとがめるように、彼の指が少しだけ、痛みを与えない程度に浅く後孔に入り込む。その瞬間にとぷりと自分の性器から白い体液が溢れた。意趣返しとばかりに臨也さんの先端に爪をたてると、押し殺した声とともに同じように液体が零れる。達する瞬間の彼の顔はものすごく無防備で、それを見ることができるだけで妙に満たされた気持ちになる。この人がこんな顔を見せるのは(たぶん)今は僕だけだ。

「は……あ、」

 べったりと手に二人分の白濁が付いている。なんとなくそれを舐め、不味いなと今更なことを思っていると臨也さんがパソコンの隣にあったティッシュで手を拭いてくれた。それでもべたつくのは変わらないから後で手を洗わないと。
 下着を引き上げつつ、中途半端な体勢だった脚から力を抜こうとしたがそうすると臨也さんの膝の上に乗ってしまうので、震える脚を叱咤しながらのろのろと彼と距離をとった。布団の上に腰をおろし荒くなった呼吸を整えつつ彼の様子をうかがうと、そこにいたのはさっきまでの熱のこもった目を向けてくる臨也さんではなく、身支度を調えたいつもの臨也さんだった。それが残念だな、と思う。ちゃんと最後までしていれば、そのまま目を閉じて寝息をたてる彼が見れることもあるのに(それよりも先に僕が寝てしまうこともあるけれど)。

「いざ、」
「帝人君」

 僕の声を遮るように声を出した臨也さんは立ち上がり、数歩でたどり着く玄関に足を向けた。ああ、帰るのか。というか、この人一体何をしに来たんだろう。……ナニを、だなんて親父じみた発想を振り払うように頭を左右に振り、一応礼儀として見送るべく立ち上がると、五分ね、と言われた。

「は? 五分」
「そう、五分」

 靴を履き、くるりと僕を振り返った臨也さんはそれはもう、晴れやかな笑みを浮かべていた。その顔にちょっと引いてしまう。この人がこんな楽しそうな顔をしているときはだいたい、ろくな事がない。さっきのがいい例だ。

「五分って、何ですか」

 それでも意味がわからないことにはちゃんと聞いておかないと、彼は勝手に僕の意見を解釈して(本意はわかってるくせに)口八丁で僕を丸め込もうとする。首を傾げる僕に臨也さんがコートから携帯を取りだした。

「着替えるだけならそれだけで充分だろ?」
「え? はい? 着替え?」

 どうして僕が着替えないといけないのか。もうこの後は寝るだけだからそんな必要ないのに。まさかこの格好が気に入らないからきちんとパジャマに着替えろと? それを見届けるまで帰らないとか? ……それなら着替えないでおこうかな、と一瞬浮かんだ脳天気な思考は臨也さんの言葉に打ち消された。

「そのままの格好でタクシーに乗りたいなら別にいいけど?」

 タクシー、と復唱した僕に臨也さんは、うん、と頷きながら携帯を操作している。

「ここの住所だったら最寄のタクシー会社が五分でくるみたい」

 どうやら携帯を触っているのはそれを検索してのことらしい。何でタクシーなんですか、なんて愚問だろう。彼はこのまま彼の家に来いと言っているのだ。

「……僕、明日体育があるんですけど」
「そう。なら体操服も持ってこないとね」
「…………」

 彼の家から登校しろと言いたいらしい。確かに後ろで快感を得るように作り替えれた僕にとってさっきの行為はむしろ熱を煽るようなものでしかなかったけど、だからと言って、と無言で渋る僕の目の前で臨也さんはタクシー会社に電話した。よそ行きのさわやかな声は電話越しだととてもやっかいな客だとは思えないことだろう。やっかいとは言っても、この人の面倒くさいところってわりと親しくないと露見しないけどさ。

「早くしてね。俺はタクシーが来るの一応、下で待つことにするけどあんまり待たせたら別料金とられる可能性もあるし」

 そんなのこの人の財布には痛くもかゆくもない打撃だとは思いながらも反論はため息だけにとどめ、押し入れから衣服を引っ張り出した。当然だけどこんな格好で他人の前には出たくないし、ここで行く行かないの押し問答を繰り返しても意味はない。どうせ臨也さんのことだ、最終的にはこの格好のままの僕を力づくで引っ張っていくことだってできる。
 わざわざこうやって聞いてくるのは優しさではなく、あくまで選んでいるのは僕だというスタンスを崩さないためだ。退路を塞いでおきながら選択したのは僕だと言ってのけるなんて理不尽だと思う。思うが、そんな彼に惹かれたのは馬鹿な自分だ。
 それに。

「……わかりにくいようでわかりやすいんですよね」

 ぽつりと呟いた言葉はたぶん、臨也さんの耳に入ったことだろう。これだけ狭い室内なんだから聞こえないほうがおかしい。だけど臨也さんから問いただすような声は聞こえなかった。というよりも、問いただしたくない、というのが正解だとは思うけど。
 たぶん、彼は彼なりにこの間の一件を気にはしていたんだろうと思う。僕が何に怒ってるのかまではわかってないような気はするけど、と一瞬思ったが臨也さんに限ってそれはないかと考え直す。だとしたら怒るとわかってて若いよね、なんて言ったのかな。彼の思惑通りに僕が腹を立てていたのならそれはそれで眉間に皺がよってしまうけど、まあいいか。こうやって彼から来てくれたのだし、どうやら欲しがってるのは僕だけじゃないらしいとわかっただけでも怒ったかいはあるかと思える自分の楽天的さにもため息が出てしまう。
 しょうがない。こんな面倒くさい人に好意を持ってしまった自分が悪いと思いながら、着替えるのでさっさと外に出てくださいと臨也さんを追い出した。










終わり