Imitation sweetS サンプル









04-13


チャットルーム



【最近、急に寒くなってきましたよね】
[そうですねーそろそろ衣替えを本格的にしないといけないって同居人も言ってました]
《今日が今秋一番の冷え込みらしいですよ! もう冬って断言しちゃってもいいような気温ではありますけど》
【やっぱり冬って暖房器具ないと暮らせないですかね?】
[なかったらないで服を着込めばなんとかなりそうですけど……太郎さん、どうかしたんですか? ストーブか何か壊れたとか?]
【いえ、この春に池袋に越してきたからまだ冬支度が何もできてなくて】
[あぁそういえばそうでしたね。でも住まいにエアコンくらいあるんじゃないですか?]
【それがないんですよね】
[夏場はどうしてたんですか]
【暑さについては我慢すればなんとかなるってわかりました】
《今年の酷暑をそれで済ませちゃうなんて太郎さんかっこいいー! 甘楽惚れちゃいそうです!》
【でも寒いと風邪ひくじゃないですか。そうなったら面倒だからストーブくらいは買ったほうがいいのかなって】
《あれ、スルーですか? 甘楽ちゃんの愛の告白を流しちゃうんですかッ?》
[確かに体調を崩すと厄介ですよね。雪が降ると途端に冷え込みが厳しくなりますから、検討されたほうがいいかもしれないですよ]
【そうですよね……さすがにパソコンの廃棄熱だけで寒さはしのげそうにないですし】
[廃棄熱ってwエコにもほどがありますよ]
《もう! あんまり無視されちゃうと泣いちゃいますよ》
【どうぞ】
《ひどいぃ! 今本当に泣いてますからね! 涙零してるんですからねッ!》
【オンラインだと顔が見えないからわかりませんけどね】
[確かに……って]
【甘楽さんw わざわざアイコンを泣いてるものに変えてまで主張しないでくださいよ】
《わからないと太郎さんもセットンさんも冷たいじゃないですかあ》
[いつも思いますけど、甘楽さんって芸が細かいですよね]
【暇なんですか?】
《こんな時間にチャットに集まって話してる内容がお天気のことだけ、なんて暇人じゃないとできないですよ☆》
【それもそうですね】
[池袋も平和ですからね]
《相変わらず首無しライダーが街を走ってたりとか、こわーい人たち同士での揉め事は起こってるみたいですけどそれもありきたりになってきちゃいましたよね》
【ありきたりって……】
《だってそうじゃないですかー。見慣れちゃったというか》
[慣れちゃいけないと思うんですけどね]
【でもわかる気がします。池袋に来たばかりの頃は駅の中で迷っていたのに今はもう案内板を見ずに歩けるようになりました】
【人にぶつからなくていいんですけど、自分が今どこにいるのかわからないなりに歩いていくのはRPGをしてるみたいで楽しかったですよ】
《でしょう? 人間冒険心を忘れちゃいけないと思うんですよね》
[それなら太郎さん、関西に行ってみたらどうですか? 大阪駅は地下も含めてラストダンジョンって言われてるじゃないですか]
【ちょっと心惹かれる響きですよね、それ】
《でもでも、自分が暮らしている場所だったら開拓しようって気になりますけど、そうじゃなかったらやる気が半減しません?》
[確かに。道を覚えたところで次にいつ使う機会があるのかわかりませんものね]
《やっぱりこの街が一番ですよ。ここで何か新しいことが起こればいいのに》
【新しいことってなんですか?】
《うーん、宇宙からの侵略者が来るとか?》
【なんなんですかそれw】
[怖いこと言わないでくださいよ]
[もし攫われて解剖されたり改造されたりあまつさえ池袋を拠点に地球が乗っ取られたらどうするんですか]
【セットンさん、それは想像力たくましすぎじゃありませんか?】
《首無しライダーがいるんですから宇宙人がいてもおかしくないですよね》
【言われてみればそうかもしれませんけど、侵略者は突飛すぎますよ】
【宇宙を航海できる科学力があるなら別に地球を狙う必要なんてありませんし】
[そうですよね! 太郎さんの言う通りだと思います]
《いやあ、わかりませんよ? この星にまだ我々地球人の知らない何かが眠ってるかも》
【何でこの星で暮らしてる僕らが知らないものを宇宙人が知ってるんですかw】
《灯台元暗しってやつですよ。そういえば、今の科学で判明されている事実としては海の底のことよりも宇宙のことのほうがより解明されている事実が多いそうですね》
【その解明されている事実の中にも宇宙人の話は出ていないんでしょう?】
《政府が隠しているとか》
【映画の見過ぎじゃないですか?】
《この街だってフィクションみたいな出来事多いじゃないですかー》
[反論できませんね]
【うーん……】
《真実は小説より奇なり、ですよ。太郎さん》






 地方の人間に言わせると、都会の駅の広さと人口密度の高さはありえないのだそうだ。特に通勤と帰宅ラッシュに当たる時間の人の多さは筆舌に尽くしがたいらしい。東京をぐるりとまわる山手線なんてその時間帯は三分と待たずに電車が来る。確かにそれだけの本数が走っているにも関わらずあれだけの人が溢れかえっているのだから、慣れない人間にとっては恐怖の対象になるかもしれない。俺がチャットで話していた相手は一度も地元から出たことがないと言っていたけど、ニュースでは何度となくそのラッシュタイムを見ていたそうだ。突発事故なんかでほんの数分電車が遅れるとそれだけでホームに人が溢れる。それを見ながら、あんなに見ず知らずの人間とべったりくっつくような状態によく耐えられるなと思っていたとか、なんとか。それに関しては俺も深く賛同する。
「だから早く帰りたかったんだけどねぇ……」
 憂鬱だけでできた溜め息を口から零しながら、柱にゆるく背をもたれさせて改札をぼんやりと見つめた。視線を少し上にやると電光掲示に次の電車の表示と時計が記されている。そこにある時刻は夕方六時過ぎ。ちょうど混み合い出す時間だ。
 慣れないスーツに身を包み、この駅に降り立ったのは正午を少し回った頃のことだった。普段仕事をするときは自分の事務所で話をすることが大半だし、そもそもここは俺の暮らしている新宿の、山手線を挟んでほぼ反対側にある。電気製品を買うならここ、と一昔前は言われていたけど今ではコアな趣味の人間が集う街の代名詞扱いだ。まあそれも、きちんとこの街の歩き方さえ知っていればその一昔前に囁かれていたとおり、普通の店やネットでは手に入らないような電子機器の部品を手に入れることが当然できる。俺のパソコンもこういった場所で部品を集めて補強しているしね。とは言ってもベースは市販されているものだけどさ。一から全て自作するほどの愛着は俺にはないしね。そもそもこういった機械は物事を円滑に進めるためのツールだと思っているし。
 そんな街になんの用があったのか、と問われれば単純に、仕事だ。それも自分から出向かないといけないようなちょっと大口の、ね。そういった面倒な仕事ってあんまり引き受けたくないんだけど、四木さんからの紹介だから断るわけにもいかない。俺とあの人の間に恩義とか義理とかそういった腹を抱えて嗤いたくなるような関係は一切ないけど、だからこそビジネスとして付き合うことができる。彼の紹介する仕事ならリスクはあれど、俺にとって大きなメリットもあることも確かだ。当然、四木さんの方にもね。
 信用してこの街にわざわざ出向き、普段着では舐められることもあるだろうからとこんな格好をして、眼鏡までかけて(これに関しては
半年ほど前に秘書として雇った人間に『あら、うさんくさいフリーターから詐欺師くらいには見えるようになったわよ』とお墨付きをいただいている)来たわけだけどこの努力は無駄だったかもしれない。
 待ち合わせ場所として指定されていたのはとあるマンションの一室だった。これが四木さんの紹介じゃなかったら絶対に行っていなかった自信がある。そんな逃げ場もなさそうな場所に自分から行くなんて、日頃の行いを見返せばまずやらないことだ。とは言え、当然そのマンションの持ち主やら隣室に階下階上の部屋の住人については調べさせてもらった。正直、どうということのないただの平凡な集合住宅というのが結論だったけど。
 時間通りにそこに向かい、中で話すこと数十分。出されたお茶には手をつけず、進められる茶菓子も口に放り込まないまま会話をしていたのはそれが見知った相手だったからだ。随分前に粟楠会にハメられて解散したはずの組の幹部が出すものなんて怖くて受け入れられないだろ?
 最初にその相手を見たときに、あの人は一体何を考えてるんだかと楽しくなって、会話をしているうちにこれが粟楠会の出来レースだと気付いた。自分の組に屈させた相手がきちんと服従を誓っているか、それを知りたかっただけなんだろう。まったく、俺は何でも屋じゃなくて情報屋なんだけどわかってるのかな。あの人。
 だけどまあ、俺を選んだのは正解だ。狭い室内できょどきょどと周囲を気にしながら、おそらく粟楠会から指示された情報を話す姿を見ているとちょっとしたイタズラ心が湧いた。事情を教えてくれなかった四木さんに対する意趣返しという気持ちが一割、残りはこんな状況に追い込まれた窮鼠が本当に猫を噛むのかを見てみたいという好奇心だ。
 話の途中で一旦口を止めさせて室内にあるだろう盗聴器を全部外し、目の前に差し出しながらあたかも自分は味方だという素振りをして会話を進め、てはみたものの正直、拍子抜けだった。粟楠会が何をしたのか知らないが、牙は全て抜かれてしまっていたらしい。
 ここまで徹底してやっているなら俺なんかで試すこともないだろうになんてことを思いながらもちらりと、会話している相手は気付いていないらしい隠しカメラへと目をやった。どうせこの様子も見ているんだろう、別料金請求しますからねと思いながら。
 その視線が伝わったのか部屋から出た途端に四木さんからは一通のメールと、俺の時間を拘束した分と思われる金額の振り込み明細書の写メが届いた。ここまで用意しているなら最初から言っておいてくれたら良かったのに、と考えてから気付いたのは俺も試されていたのかもしれないということで、自分がせっせと池袋の街を楽しくするために火種をばらまいている自覚がある分、文句をつけるのはやめておいた。
 今年の四月にあったダラーズの集会以降、あの街では特にこれといった事件は起こっていない。俺が目をかけているダラーズの創始者も、面倒を見てやっていた黄巾族の将軍も楽しくスクールライフを送っているようだ。その二人と一緒にいる子がただの少女じゃないことも調べがついているがあまりにも非現実すぎて、実際にこの目で確かめてみるまではどう手駒にするか迷うってところかな。その確認をする機会を今は待っている状態だ。勿論待つだけじゃチャンスは転がり込んでこないからせっせと根回しはしているけどね。それが実を結ぶのももう少し先のことになりそうだ。
 機が熟すのを待つのは楽しい。まるで遠足だとか、サンタクロースが訪れる前夜のように楽しみで楽しみで仕方ない。
 自分を試されたことなんてそのお楽しみの前では些細なことだ。とは言え、面白くないことも確かなので適当にストレス発散を兼ねて買い物でもするかと街をふらついたのがよくなかった。ついでに、少しばかりストレスが溜まっていたということも。
 今俺が片手に持っている紙袋は大した大きさではないが、中には普通に生活してる範囲ではあまり目につかないものが入っている。
 盗聴器や盗撮カメラは今や簡単に手に入るけど、それを雑音があまり入らないようにするとか、できるだけコンパクトにするといったことになるとやはり専門の部品が必要になってくるんだよね。そういったアングラなものが売っている場所ってどうしてこう、心躍らせるような悪趣味なものを置いているんだろう。スタンガンを改造したスタングローブ、なんて自衛用には使い勝手が悪いだろうに堂々と『危険な夜道のお供に!』と書いてあるんだから笑えてくる。思わず買っちゃったじゃないか。その他にも無駄遣いだと罵られそうなものがいくつか紙袋の中に収まってるわけだけど、まあ払うのは俺だからね。買い物程度でストレスが発散されるならそれこそ安いものじゃないか。
 そうやって買い物を楽しんでいたらいつの間にか時間は過ぎてしまっていたというわけだ。自業自得と言えばそれまでだから文句を言うつもりはないけど、さてどうしたものか。
 タクシーを使ってもいいが道路もどうせ混んでいるだろう。地下鉄の方がまだマシかな。……あまり変わりないか。
 どこか店にでも入って時間が過ぎるのを待つのもいいかもしれない。新宿や池袋とは違う人波を見るのもまた一興かと視線を周囲に向ける。改札の外だからホームよりはマシかもしれないが、それでも人の行き来は多い。大半が自分と同じようにスーツに身を包んだ人間ばかりだが、その中にふらりと視界に入ってきた存在に思わず唇が弧を描いた。
 たっぷりのレースとフリルにあしらわれた服装は池袋を歩いていても時折見かける。新宿はそこまででもないかな。専門のショップの近くならいるかもしれないけど、そっちの方にはあまり行かないしね。
 一般的にゴスロリと呼ばれるその衣服はこの街だったらなじみ深いものなんだろう。その証拠に、行き交う人混みはその少女が歩いていてもちらりとも目を向けない。まああんな格好をしている子なんてちょっと駅から出れば目につくから珍しいものでもないんだけど、と思いながらも何となく、その子供をじっと見つめていたのは他に面白そうなものがないからだ。
 よくよく見てみるとその子が着ている衣服はその筋のブランド物ではなく、どちらかというとコスプレショップに、それも専門店ではないような場所で売っていそうな安っぽさが滲むものだった。まああの子、長い髪とベッドドレスで顔を隠しているけど若そうだし、細身だからそこまで気にならないけどね。あのくらいの年頃の子がなんとなく興味を持って、で身につけるのならあんなものだろう。
 それにしても黒のフリルがあしらわれているスカートはせめてパニエでも履けばまだ見栄えがするだろうに。足元だってヒールのない靴に黒地でなんの装飾もない丈の長い靴下(もしかしたらタイツなのかもしれない)だなんて、それこそああいった格好が好きな人種から見たらやる気はあるのかと罵られそうだ。
 あの子がまっすぐに電気街口の方に向かっていれば、あれは店の制服で、単にちょっと宣伝のために駅まで出てきたのかとも思えるけど、行く当てもなさそうにふらふらしているところを見るにそうでもないんだろう。
 田舎からちょっと遊びに出てきたけど、どこに行けばいいかわからないってところなのかな。若い子ならこっちじゃなくて渋谷や原宿を好みそうなものだ。でもああいう格好が好きならこの街のほうが違和感がないと思ったのかもしれない。都会を知らないとイメージだけで動いちゃうしね。
 でも、それにしても何か違和感がある。歩き方が変だ。あんな歩きやすそうな靴なら靴擦れなんてしてないだろうし、実際きょろきょろと周囲は見渡しているものの、歩く姿は足を庇っている様子はない。
 もう少し近づいたらわかるだろうかと、ぶつからないように気を遣いながら人混みを歩いている内に気付いた。あ、あれ女の子じゃない。
 その瞬間思わず笑い出しそうになったけどこんな往来で笑い声をあげたら俺のほうが不審者扱いされる。それでも思わず口元は緩んでしまい、それを気付かれないように口元を手で覆った。
 なるほどね、そうか。これだけ人が多い所だ。あんな趣味を持った人間の一人や二人くらいいてもおかしくない。幸いあの子は華奢と評してもいいような体躯だ。それをたっぷりのレースやフリルがカバーしているから一見男だとはわからない。だけど決定的に歩き方が違う。骨盤から歩くか、肩から歩くか。それが基本的に男性と女性を見分けるときに観察するポイントなんだけど、それって骨格の違いから出てくるものだから訓練しておかないとまずできないんだよね。まあそんな見分けができるような輩はスーツを着て帰宅ラッシュに揉まれてなんかいないだろうから、この場であの子が男だと気付いているのは俺くらいなんじゃないかな。あれでもっと衣服に気を遣っていればその擬態はよりわかりにくいものくらいにはなるだろうに、と思っている俺の目の先でその子は携帯をポケットから取りだした。ああそうか、鞄も持っていないことも違和感の原因か。女の子ってどこに出かけるにしても、必ず鞄を一つは持っている。それ何が入るの、と問いたくなるような小さなサイズでも絶対に。
 色々穴だらけなあの少年はもしかしたら罰ゲームか何かであんなことをやっているのかもしれない。だとしたら何とも難儀な罰則を付けられたものだ。
 それに、こんな場所で携帯をいじるなんてあまり人混みに慣れていないんだろうなと思って見ていると案の定、彼は後ろから来たサラリーマンにドン、と押された。その勢いのまま携帯が手から転がり落ちるもののぶつかった相手は謝罪もなく去ってしまう。こんな時間だから疲れて他人を気遣う余裕なんてものもないんだろう。
 慌てて愛らしい衣服に身を包んだ子供は携帯を拾おうとしたが人混みはむしろそんな様子を邪魔だと言わんばかりだ。革靴やヒールの靴に携帯があたりどんどん蹴られていく。あれ、下手したら中身壊れるんじゃないかな。まあこんな場所で携帯を落としたあの子のミスなんだけどさ。
「…………」
 何の因果かその蹴り飛ばされた携帯は俺の足先にぶつかった。赤と白のカラーリングでできた携帯はこのキャリアの中でも一際人気が高かったものだ。俺の知り合いにも何人かこの機種を使っている子がいる。にも関わらず、真っ先に脳裏に浮かび上がったのは四月に会ったばかりの少年だった。携帯一つで日常から非日常へと足を踏み込んできた子供とはあれ以来、街中でときおりすれ違う程度だ。チャットではほぼ毎晩しゃべってるけどね。昨日もどうでもいいことを話したし。
 そんなことを思い出したせいか、なんとなく足元の携帯を拾い上げてしまった。傷がついているけどたぶん、動作には問題ないだろう。
 何となくほこりを払うように指で携帯の背面を撫でていると当の持ち主が目の前に来た。どこかよたよたとしているのは人波にもまれたからに違いない。これを機に、こんなところで携帯を触るべきじゃないよと言ってやろうかと考えたけど、そうなるとずっと見ていたことがバレるか。警戒されるのも面倒だよね。
「大丈夫?」
 俯いたままでいる相手に結局そう声をかけて携帯を差し出した。できるだけ優しく聞こえるようにそう声をかけたのはもう二度とこの女装をした少年と会うことがないとわかっているからだ。罰ゲームにしろ趣味にしろ、こんな隙だらけの服装をさらしているのならこれが初めてのことだったに違いない。普段と違う格好で歩いていたんだからさぞや精神は摩耗していることだろう。それを追い詰めて遊ぶ、なんてことは相手のことをよく知っていれば楽しそうだけど見ず知らずの人間なら、見なかったことにしてより楽しいことに目を向けたほうが有意義だ。
 そう思っていたのに不意に上げられた顔に、思わず目を疑った。
「……ん?」
 青みがかった黒い目には見覚えがある。自分にとって興味深いことを見いだした途端、光の強さががらりと変わることも知っているくらいには。今は疲労のせいか少し潤んで見えるけどこの目を見間違えるはずがない。
 何やってるの? 君にそんな趣味があったなんて知らなかったなぁ。それ、池袋に来てから目覚めたの? それとも罰ゲーム? 紀田君あたりと何かやってるとか?
 質問はいくつも頭に浮かんだ。目の前の彼が、一瞬でも見つかった、と嫌そうな顔をしていればそれはそのまま形になっていたに違いない。
 だけどその少年は俺の予想を裏切って差し出された携帯を受け取ると、ぺこりと会釈をしてからふらっと人混みの中に消えていってしまった。まるで俺の存在なんて見えていなかったかのような動作だった。
 確かに俺はトレードマークである黒のコートは今日は着ていないし、スーツだし、眼鏡もかけている。でもあれだけ至近距離で目が合ったんならどう考えても気付くはずだろ? どういうことだよ。
 胸中でいくら疑問を投げかけても当然答えなんて出るはずがない。懐に入っている携帯で今、拾って手渡した携帯に電話をかけて聞いてみることもできる。できるが。
「……まあ、いいか」
 結局内ポケットから出した携帯は時間を確認するだけに留めた。今から電車に乗れば、夕飯をゆっくり食べたとしてもいつものチャットをしている時間には十分間に合うはずだ。電話で話すよりも、メールをするよりもあの子はオンライン上の方が雄弁だからそっちで聞いてみよう。内緒モードで声をかけると、田中太郎じゃなくて竜ヶ峰帝人として言葉を返してくれるしね。
 どんな言い訳をするのだろうか。それを思うと混み合う電車もせいぜい三十分かからない程度だし耐えることができる。
 楽しみっていうのはやっぱり生きていく上で大切だよね、なんて独り言を呟きながら改札機へと向かった。















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