Glory Glory サンプル02
※女装注意







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 ごゆっくり、とベッドに腰掛けたまま笑う彼をそのままに後ろ手に寝室の戸を閉める。
 少し驚いた。今まで着替えまで用意されたことなんて一度もない。下着くらいなら真新しい高級ブランドのロゴが嫌味にならない程度に入ったものを渡されたことはあったけど衣服は初めてだ。
「…………」
 じわじわと頬が熱くなる。
 なんとなく臨也さんは形に残るものは僕に渡したがらないだろうな、と思っていた。それは僕としても歓迎すべきことだと思っていたのに。こんなみっともない顔は絶対見られたくない。シャワーで洗い流してしまわないと。
 熱い湯を頭から被せ、ドラッグストアやスーパーでは見かけないメーカーのシャンプーとコンディショナーを使い(銭湯では石けん一つでまかなえるからそれでいいと言ったことがあるけどせっかくあるんだから使いなよ、と呆れたように前に言われた)ボディソープで身体を洗う。
 まったく同じ物を使っているのに風呂上がりの彼と僕とでは同じ匂いにならないのは臨也さんが無駄にフェロモンみたいなものを垂れ流してるせいだと僕は踏んでいる。風呂上がりの臨也さんはまさに水も滴るなんとやらで、あの人って本当に自分も魅せ方を心得ていると思う。あの容姿じゃないと許せないことは多々あるし、僕だって臨也さんの外見があそこまで整っていなかったらこんな関係になっていたかどうかも怪しい。逆に言えば、臨也さんが何を思って僕のような平凡な容姿の人間を側に置くことにしたのかわからないけどさ。やっぱりダラーズのおかげだろうか。それ以外無いか。
 タオルで身体をぬぐった後に視線をめぐらせるとわかりやすい場所に服が畳んで置いてあった。用意されていた下着を身につけ、一番上に乗っているものを手にとってみるとそれはとても手触りがよくて臨也さんらしいなと思う。基本的に彼は黒い服を好むけどどれも肌触りのいいものばかりだ。
 どうやら用意してくれたものは前で止めるタイプのシャツらしい。襟の部分が丸みを帯びているんだけどこれって着こなしが上手い人じゃないと見苦しいことになるんじゃないのかな。まあいいか。選んだのは臨也さんだ。不格好だと言われたらセンスが悪いんじゃないですかと言い返しておこう。
「……?」
 そのシャツと似たような素材で作られた長い布がぽとりと足下に落ちる。ネクタイかと思ったけどそれにしては頼りない。ベルト代わりか何かなのかよくわからず、ひとまずそれは脇に置いた。
 シャツの下にあったのは丈のやけに長い靴下で、ものすごく履きにくい。だけどこれはあれかな、ズボンの生地があまり厚くは見えないから、防寒としてこの長さのものを臨也さんは用意してくれたんだろうか。臨也さんって夏場でもコートを着てる姿を見かけるくらい寒暖に鈍そうに見えるんだけど(本人に言わせるとあの黒いコートはある種情報屋としての記号みたいなものだからということらしい。意外に自己主張激しいんだよね、あの人)一応僕が寒くないようにと気遣ってくれたのかもしれない。
 薄手のベージュのズボンはよく見てみるとうっすらと格子模様が入っている。目を凝らさないとわからないけど高そうだ。これ一着だけでいくらくらいするのだろうか。もしかしたら僕の家賃と同じ値段なのかなと思うと何故こんな汚れの目立ちそうな色合いを選んだのかと言いたくなってしまう。かと言って黒にされたらされたで、臨也さんと同じ色のズボンを履くなんて劣等感を刺激されるだけだとわかってるからお断りさせてもらうけど。
 彼がよく身にまとう細身の黒のパンツはすらりと長い彼の脚を強調するが、そんな彼と同系色のものを履いて隣に立つなんて絶対に嫌だ。僕と彼しか見ていないとしてもガラスに映る瞬間に遺伝子レベルでの違いを痛感するに違いない。
 はぁ、ため息を吐いてズボンに足を通し、前のホックを留めるときに違和感を感じて首を傾げた。それはさっきシャツを着たときにもあったもので、どう言葉にしたらいいかわからないが何か変だなと思ってしまう。着慣れないものを着てるからかもしれない。僕が普段着るのってもっと緩い、動きやすいタイプのものだし。
 腰で止めたホックは少し、どころかだいぶきつい。若干骨が締め付けられているみたいだ。太ももや脚の付け根あたりはかなり緩いのに腰回りだけが締まっているのはそういうデザインなんだろうか。鏡を見てみるとそう不格好には見えないけど、しゃがむのが大変そうだというのが正直な感想だった。デザイン性を重視した結果がこれなのかな。だとしたらやっぱり僕は普段着ている衣服の方がなじみ深いし楽だと思う。
 シャツの上に重ねるように用意されていた淡い、春らしい色合いのニットを着てみるとこっちは若干大きいように感じた。
 臨也さんにしてはここまでサイズが微妙なものを用意するのは珍しい。でも何もかもぴったりなものを用意されてもそれはそれで気味が悪いか。そういえば、何かの話のついでに任侠系の人ってものすごくタイミングのいいプレゼントをするって臨也さんが言ってたっけ。結婚式をすることを伝えていないのに当日式場に豪華な花束や電報が届いたりとか、子供の入学式の準備に合わせてその子のサイズにぴったりの上履きや運動靴を贈ってきたりとか。常に監視されているような感覚を味わわせるその話に僕が思った感想はあまりなく、そういうちょうど良い薄ら寒くなるような贈り物ができるよう情報を集めるのがこの人の仕事なんだなと思っただけだ。性格が悪くないと情報屋ってできないんだろう。とは言っても、今身につけているこの服のサイズを顧みるに、僕のことはそこまで調べてはいなかったんだろうけどさ。でももしかしたら、彼が持っている情報より僕が成長しているのかもしれない。体重はあまり変わらないけど池袋の街を走り回ることも、時々喧嘩紛いのことだってやってる。その成果は少しくらい出てるんじゃないかな。それを考えるとこの妙にサイズの合わない服にあまり不快感が湧かない。
 湧かないけどちょっと臨也さんに言ってみよう。この服、微妙にサイズが合わないんですけど、と。彼はどんな顔をするだろうか。へぇ、と興味なさそうな素振りを見せるか、成長したんだね、と口先だけでも褒め言葉をくれるのか。別にどちらでもかまわない。ちょっとでも彼の予想を外れることができるのなら。
 シャツと共布の布きれを掴み、ドアを開けて下につながる階段の上から室内を見渡すと臨也さんはソファに座って何かを飲んでいた。これがもし起きたばかりだったりだったらときどき寝癖がついてる、無防備な表情をしたまま両手でカップを持ってる姿が見えるんだけどもう昼過ぎだ。嫌味になるほど姿になる様子で彼は片手にカップを、もう片方の手には新聞を持っていた。毎朝経済新聞と国内の新聞には軽く目を通しているようだけど、英字やらどこの国の言葉なのかわからない新聞は休日の朝まとめ読みしているらしい。そういった情報ってネットで簡単に手に入るから彼がアナログな情報媒体を読んでいることが少し意外だった。新聞っていうのはそもそも読ませるためのものだからネットより人の目に入りやすい作りになってるんだよ、とか何とか言ってたような気がする。
 たぶん臨也さんは僕がここにいることは気付いているとは思うけど、と考えながらもわざと足音をたてて階下に降りると、臨也さんは新聞をたたんでから僕の方に目をやった。一瞬彼の紅い目が大きく見開かれる。
「……へぇ、似合うじゃないか」
 似合うじゃないかって、あなたが選んだものですよ、そんな自画自賛するみたいな言葉はどうかと思います、なんて咄嗟に頭に浮かんだけど言わないでおこう。機嫌よく笑みを浮かべている臨也さんの興をそぐのもどうかと思うし、彼がくれたものに下手なことを言うと『気に入らないなら脱がせてあげようか?』と言われかねない。そんなことを口走ることを容易に想像できるようになってしまった自分に嫌になる。
 臨也さんは僕の目の前に立つと、ふぅん、とか、へぇ、とか言いながらまじまじと僕を上から下まで見下ろした。
「後ろ向いて」
 言われるままに彼に背を向ける。背中から見た姿っていまいちわからないけど、臨也さんは独り言のように、全然違和感ないねと呟いた。
「違和感はありますよ」
「どのあたりが?」
「腰がきついです」
 振り返りニットをたくしあげてホックを見せつけると臨也さんの指がそこに触れる。何か言うかな、と思ったけど臨也さんはまたふぅん、と言っただけだった。
「そんなにきつい? 動けない?」
「動けないほどじゃないですけど……」
 動くたびに腰のあたりが擦れはするが下着があるから皮膚に痛みがあるわけじゃない。ただ普段はもっと楽な格好をしているから違和感があるだけだ。臨也さんっていつもこんな締め付けを味わっているんだろうか。洒落た格好っていろいろ面倒が多そうで、それなら僕は着心地を選びたい。これだって臨也さんがくれたものじゃなかったら絶対に着たりしなかった。
「帝人君、何か足り無くない?」
「え? あ、これですか?」
 重ねられていた衣服の中にあった用途不明の布を臨也さんに見せると彼は笑みを深めた。
「つけないの?」
「これってどこにつけるんですか?」
 ベルト代わりかと最初は思ったがそれにしては長さが中途半端だ。それに今着ているニットは大きく、僕のお尻のあたりまであるから身につけたとしても見えない。そういう見えないところまで気を遣うのがおしゃれとやらなのかもしれないけど、ただでさえ窮屈な腰にこれ以上何かつけたくはなかった。
「つけてあげるから貸してごらん」
 臨也さんに言われるまま手に持っていたものを差し出すと、彼はそれを僕の首に引っかけた。シャツの襟の下を通るように彼の手が動く。これネクタイで良かったのか。そういえばネクタイって自分のものしか締めたことがないけど臨也さんは正面からでも器用に相手のものを結んであげられるらしい。それがなんだかよくある新婚風景のようだと思ってしまった自分の頭が痛くなる。臨也さんに言ったら逆じゃない? と笑われるか、チャットでしかお目にかかれないような口調を繰り出してきそうだ。
「帝人君さぁ」
「何ですか?」
 話しかけられたら相手を見るのは当然のことで、視線を自分の胸元から彼へとあげる。少し伏し目がちな彼の目は相変わらず楽しそうだ。もしかしたら思っていたより自分の見立てが合っていたから彼も嬉しいのかもしれない。それを思うとなんだか僕も嬉しくなってくる。だから自然と僕の顔には笑みが浮かんでいた、が、臨也さんが僕と目を合わせた瞬間に嫌な予感を覚えた。
 結び終えたらしい彼の手がぱっと離れる。
「こういう服を着てる子って街中によくいると思うんだけどまったく気付かなかったの?」
「……は?」
「本音を言うと途中で気付くかなぁって思ってたんだよね。帝人君の身長は百六十さ、」
「百六十五です!」
 譲れないそこを叫ぶと臨也さんは肩を竦めた。彼から見たら僕の背なんて一センチ変わろうが二センチ変わろうが大差ないかもしれないけど重要なポイントだ。それに身長は去年測ったときのものだから、もしかしたら今はもうちょっと大きくなってるかもしれない。そういえば青葉君も一年くらい前と比べて少し大きくなってるみたいだし。相変わらず目が大きいから女の子めいた容姿には見えるけど。
「そう、百六十五だっけ。その身長って大きめだからラージサイズで選びはしたけどさすがに着れないんじゃないかって思ってたんだよ」
 大きめ? 何を言ってるんだろうか。僕の年頃としてはむしろ小さいくらいなのに、と考えてから気付いた。
 そうだ、僕の身長は小さい。そしてそこには高校生男子としては、という注釈がつく。
 自分の頬が引きつるのがわかった。目の前に立っている臨也さんはそんな僕の表情の変化をそれはそれは楽しそうに見つめていて、その腹の立つ顔から視線を自分の胸元へと向ける。
 そこにはさっきまで僕が握っていた布が愛らしいリボンとなって結ばれていた。
「腰回りがきついって言ってたけど当たり前だろ。女の子と比べて男の方がどうしたって骨格はしっかりしてるからね。それはもちろん、女の子のほうが骨盤は丸みを帯びているさ。でもそれを加味したとしても腰回りってだいぶ違うもんなんだよ。帝人君は成長途中だからもしかしたらまだ成長するかもしれないけど、それにしてもまさかレディースのボトムが入っちゃうとは思わなかったなぁ」