Glory Glory サンプル01
03-08
「違うんだよ聞いておくれセルティ! 確かに僕は今君と敵対しているかもしれない、え? かもしれないじゃなくて事実そうじゃないかって? 私にも友人を大事にする心があるのは感心した? ああセルティ! やっぱり君は僕の妖精だ! いや天使だ! 君が囁く言葉は福音に聞こえるよ! 事情が事情なだけに、もしかしたら君は俺が臨也の方についたことを怒るかもしれないと心配してたんだけど、そんなことはなかったね。そうとも、僕らをつなぐ運命の赤い糸、いや赤いザイルはどんな困難を前にしても途切れることなんかないんだよ!」
池袋の街を駆け回る首無しライダーが囁く声を聞き取れるのは、世界広しと言えども公園の中心で叫んでいる新羅さんだけだと思う。
ふ、と息を吐き出し空を見上げると背の高いビルに阻まれてはいるものの、どこまでも続きそうな青い空だった。最近曇天が続いていたから、こうやって晴れているとそれだけでなんだか嬉しくなってくる。
冬に比べてようやく春めいた気温になってきたとは言えそれでもときどき吹く強い風は身に冷たい。だからといってダウンジャケットを着るのは暑すぎるし、この時期にしか着れないような薄手のコートを買うような余裕もない僕は一昨年買った、某量販のダウンベストの襟元に顔を埋めた。腕が寒い。もう一枚着込んできたら良かったかな。
「よくやりますよね」
わりとどうでもいいことをぼんやりと考えている僕に、隣で生ぬるい目を白衣姿に送りながらぽつりと青葉君が呟いた。公園の真ん中で声高らかに恋人への愛を唄う姿に居心地の悪さやら気恥ずかしさを感じるのは僕らだけらしく、当の本人たちはそんなものを感じていないらしい。視界の端に公園を突っ切ろうとした通行人がこの光景を目にした途端くるりと方向転換したのが見えた。いたたまれない。
「敵対する恋人同士なんてまるで僕らはロミオとジュリエットのようじゃないか! もっとも、私はあの世で結ばれるんじゃなくて現世の君をこの胸に抱きたいのだけどね。でも君が俺の魂を運ぶ天使だというのなら喜んでこの身を差し出すよ! 馬鹿なことを言うなって? 君は私が冗談を言っていると思っているのかい? ああでもそうか、確かに私たちは比翼連理、どちらか一人が残るなんて選択肢はそもそも存在しないか。ごめんよセルティ、言葉だけとはいえ君一人おいていこうとした僕を許しておくれ!」
新羅さんの言葉に黒い影がぶわ、と膨らみそのまま白衣にまとわりつきそのまま彼の体を締め付けた。新羅さんの言葉に恥じらったようにも、なんとか口を止めようとしたようにも見える。
引き裂かれた、なんて新羅さんは言うけど、彼があちら側につかなければそうはならなかったのに。でも僕がセルティさんを仲間に引き込むこなんてたぶん、臨也さんにはお見通しだったんだろう。そうなると池袋の怪異である彼女に対抗できるのは新羅さんか、あとは静雄さんしかない。後者を臨也さんが利用することはあっても頼ることはまずないからやっぱり新羅さんしかいないか。
ちらりと視線を新羅さんの向こう側、つまり僕にとって敵陣となる方へやるとのんびりと座っている臨也さんと目が合った。ひらひらと手を振ってくる姿はどうにも敵対している相手にするにしては気楽なもので、振り返すべきか少しだけ悩んだけど一応返しておこう。無視したら後で何を言われるかわからないし。
「帝人先輩」
「何?」
その脳天気な仕草を見てか、それともずっと気になっていたのかはわからないけど青葉君が嘆息混じりに僕に問いかけてきた。
「そもそも何でこんなことしてるんですか?」
それにどう答えたものかと考えながら曖昧な笑みを返す。
事の発端は、と聞かれると僕も乾いた笑いしか出てこないので省かせてもらうけど、今こうやって僕らが公園で惚気を延々と聞かされるような事態に陥った原因は、臨也さんだ。
今朝学校に向かおうと歩いていると彼が通学路に現れ、帝人君、ゲームをしようと言い出した。正直なところ僕は彼の姿を見た瞬間逃げだそうとしていたのだから、突然そんな提案をされてものすごく驚いた。臨也さんが笑顔を浮かべていたのだから余計に。
僕だって何も意味なく他人から逃げなきゃいけないような生き方なんてしていない。ただ一週間ほどまえに臨也さんといろいろあって、今日まで一切連絡をとっていなかった。それまでは最低でも三日に一度はメールなり電話なり、直接会うなりしていたのを覆してまでつながりを絶っていたのだから突然の彼の姿に某ネズミとネコのアニメのネズミのように逃げ出したくなってもしょうがないと思う。
普通、新宿の情報屋とそこまで頻繁に連絡を取り合う高校生なんていない。つまり僕と臨也さんの関係は一般的なものと少し異なる。少し、というか大分。
具体的に一言で言うなら恋人同士、にはなるんだろうと思う。僕から思いを伝えて臨也さんがそれを受け入れたのだし、友人なら決してしないような触れ合いまでしているのだからこの関係性をそう表してもおかしくはない。だけど僕はどうにもその単語で僕と臨也さんを表すことに違和感があった。
確かに僕は彼に好きだと思いを告げたし、臨也さんもときどき思い出したみたいに好きだよと言うことはある。あるが、どうもその重さにずいぶんと偏りがあるようだ。僕のほうがだいぶ重みがあるんじゃなかろうか。 世の中には惚れた方が負けという言葉あるのだから先に思いを告げてしまった時点で僕の負けは確定したようなものだ。それは別にいい。どうして彼なんだと聞かれても上手く答えられないくらい自分が彼に傾倒している自覚はある。彼の言動一つで一喜一憂する己の姿の滑稽さにはときどき頭を抱えたくなるくらいだ。
だけど臨也さんが僕のようになることがあるかと言われれば、はっきり言ってまずない。いつだって飄々としているし、むしろそうやって彼に振り回されている僕の姿を見てにやにやと笑いながら楽しんでるくらいだ。その姿を見るに、彼にとって僕という存在は恋人というよりも身近で遊ぶのにいいおもちゃ、くらいのものなんだろう。そこまで自覚しておきながら彼の側を離れられないのは、僕から別れを告げたらあっさりと頷かれる未来が見えるからだ。僕が告白したときと同じくらいの淡泊さで。
それくらい温度の差があるのだから僕が彼に嫌われないようにいろいろと画策するのは当然のことだ。その一貫で一週間前にやらかしてしまったことがある。そのことを思い返すと反省はしてしまうが、本音を言うと後悔はしていない。だけどたぶん、臨也さんはものすごく怒っているだろうなとは予測がついた。だからそれをした翌日から連絡をとらないようにしていたし、いきなり連絡もなしに姿を見せたときにその場でUターンしたくなったわけだ。
何を言われるのかと身構えた僕に彼は笑みを浮かべたままゲームをしようなんて提案をしてきたのだから拍子抜けしてしまったけど、すぐに何をさせる気なのかと問い返した。彼の言うゲームはボードゲームの類いのこともあるけど、ゲームとはほど遠いことをさせられることもある。具体的な内容は思い出すだけで頭から火が出そうなくらい恥ずかしいから記憶の引き出しにしまったまま鍵をかけているが、いずれにせよ僕が彼に勝てることなんてそうそう無い。
それくらい僕と臨也さんの腕前には差があるのだから僕が警戒するのも当然だ。もちろんそんな反応は予想の範囲内だったらしく臨也さんは肩を竦め、そんな難しいものじゃないよと前置きをしてからゲーム内容を説明してくれた。
「俺と君が一対一でゲームをしたところで勝敗は見えてる。それなら人を集めて勝負しよう」
彼の人脈の広さはよく知っている。勝ち目の薄そうな勝負にそれでも頷いたのは景品がひどく魅力的だったからだ。
彼は僕が勝ったら一週間前のことはなかったことにしてあげる、と言った。
その件についてだけは若干、僕に非があるのでそれをなかったことにしてもらえるなら乗らない手はない。それに断ったところで臨也さんはそう、じゃあと言ってそのまま先週の報復をしてきそうな不穏な気配もあった。
自分を含め五人になるよう人を集め、順番に競わせるというルールを告げた臨也さんは時間は放課後、場所は池袋のサンシャイン近くにある公園と決めてしまうと僕に背を向けてすたすたと歩いて行ってしまった。
その場ですぐ青葉君に電話したのは真っ先に思いついたのが彼だったからだ。園原さんを臨也さんとのゲームなんて危ないことに巻き込むわけにいかないし、他に頭に浮かべた相手は連絡先もわからない。仮にわかっていたとしても今はまだ会えないけどさ。
青葉君に臨也さんとゲームをすることになったと告げたときは一瞬息を飲み、そのすぐ後にものすごく気合いのこもった返事と、時間までにブルースクウェアのメンバーを集められるだけ集めておきますと言われた。その時点で何か誤解しているかもしれない、とは思ったけどまあいいかと流したのは、いつも粛正をしている時間よりもずいぶん早いからそう人は集まらないだろうと踏んでいたからなんだけど、結果としては喧嘩に強いメンバーを全員つれてきていたから驚いた。普段なら彼女を優先するネコ君までいたんだからどれだけ青葉君がやる気だったのかよくわかる。
どういった経緯があったのかは知らないけど、青葉君はあまり臨也さんのことをよく思っていないらしい。理由を聞いたこともないのは僕と青葉君の関係はあくまでダラーズとブルースクウェアの利害の一致から生まれているからだ。あまり相手の事情に立ち入るようなことはしたくない。かと言ってまったく気にならないわけでもないので、いつだったか臨也さんにどうでもいい会話のついでに聞いたことはあった。
「俺が他人に好かれると思う?」
ものすごく自分のことがよくわかっている言葉が返ってきたのだから僕だって納得せざるを得ない。だけど臨也さんを嫌うほどの接点を青葉君が持っていたことは意外だった。ダラーズのことも全部片付けて、それでも青葉君と接する機会があるのならいつか彼にも聞いてみよう。
「俺、もっと大がかりなことになると思ってたんですけど」
だからこれだけメンバーを集めたのに、とふてたように青葉君が隣で呟く。その顔は幼い彼の容姿と相まってどこかかわいらしく見えるのだからなおさら臨也さんとの接点がわからない。青葉君の中身はこの外見通りじゃないんだけどさ。
「大がかりなことって?」
「こう、折原臨也を取り囲んでいるであろう信者をちぎっては投げちぎっては投げするみたいな……」
そんな派手な喧嘩は臨也さんはあまり好まないと思う。仮にそういったことをするとしても彼なら自身は決して表に出ることなく、火の粉のかかりそうにない距離でその諍いを安全な場所から眺める方法をとるんじゃないかな、ということがわかるくらいには僕は彼の隣にいた。とは言っても僕と彼がそんな関係だなんて誰かに教えたこともないから口にはしないけどさ。
「ちぎっては投げって……ああ、だから宝城君も連れてきてくれたんだ」
視線を青葉君の後ろにやると、ベンチに横になっているプロレスラーのような体格の青年が見える。規則正しく上下する体を見るに、今現在の状況にまったく興味がないんだろう。彼の好きなものは睡眠と喧嘩だし。
「そうですよ。あいつ寝るためだけに生きてるみたいなもんですからここまでつれてくるのちょっと骨が折れたのに」
それだけ苦労したというのに、実際僕らがしているのはのんびりと公園のベンチに座って新羅さんとセルティさんの言い合いがどうなるかを見守っているだけだ。
でも青葉君の文句にはもの申したい。
「ちょっとでしょう?」
「そうですけど……」
「ならいいじゃないか。それに青葉君はいろいろ文句が言える立場じゃないと思うんだけど」
付け足した僕の言葉に青葉君が、う、と呻き声をあげた。近くにいたブルースクウェアの子達からはいいぞリーダーもっと言ってやれ! と野次が飛んでくる。それにうるさいぞお前ら! と一喝してもあまり説得力はなかった。
臨也さんが指定した時間は一旦家に帰って着替えるだけの余裕を持たせた時刻で、そういう細かいところまで気を回してくるのがいかにも彼らしい。
公園にくると、彼の周りにいたのは僕の想像に反して顔見知りばかりだった。新羅さんはもちろん、彼の秘書に彼の妹たち二人。その二人に関しては顔見知りと言うよりも学内の噂を耳にしているだけだけど、顔がわかるくらいには彼女たちの名前は有名だ。それは折原臨也の妹、ということだけが原因じゃない。聞いている噂にどれだけ尾びれ背びれがついているかわからないけど、あの臨也さんが苦手意識を持っていると言っていたのだからもしかしたら非現実的だなと思わせるような噂もすべて真実の可能性はある。見かけだけなら見目のいい普通の子に見えるんだけどな。一人が体操服ってこと以外は。
どういったゲームをするのかと問うた僕に臨也さんはうさんくさい笑みを浮かべたまま、一人ずつ勝負はするけどその内容は各々に任せると言った。もし腕力勝負だと言われたら僕と青葉君はほぼ確実に黒星をつける予感がしていたから異論はない。
最初に前に出てきたのは臨也さんの妹の、なぜか体操服を着ている方だった。折原九瑠璃という名前もものすごく彼の妹らしいと思う。臨也さんのご両親の名付けセンスってもしかしたら僕の両親と似たり寄ったりかもしれない。ただ臨也さんのところはそんな奇抜な名前に負けることのない性格だけどさ。
その少女と対戦すると申し出たのは青葉君からだった。曰く、彼女とはよく話すからなんとかできると思いますと頼もしい答えが返ってきたから任せたわけだけど(みんなからはかわいい女の子と仲が良いアピールすんなとブーイングをくらっていた)結果として青葉君は負けた。あれだけ自信満々に向かっておいて何をしているのかと僕が突っ込みをいれたくなっても当然じゃなかろうか。
青葉君も彼女も声が大きいわけじゃないからどういった方法で勝敗を決めようとしのかはわからない。ただ僕の目には向かい合って話していたかと思うと、突然臨也さんの妹が青葉君を引き寄せぎゅ、と抱きついた。もちろんここで大きな野次が飛んだことは言うまでもない。
女の子に抱きつかれたままでは会話すらまともにできなかったらしく、早々に彼は負けを宣言した。負けでいいから離れてほしい、と叫んだ声は悲鳴みたいなものだったけど、でもまあ、それを情けないと思わなかった。むしろそんな状態でスムーズに女の子をあしらっているほうがどうかと思うし、戻ってきた青葉君は燃え尽きたような顔をしていたから呆れよりも同情心が湧いた。だから強くは責めないでいたわけだ。一戦目だし、という余裕もあった。
そのすぐ後に出てきたのは、たぶん無理矢理臨也さんに引きずり出されたんだろうということがすぐにわかるほど機嫌の悪い彼の秘書だ。
あくまで仕事相手として臨也さんをあしらえるあの人ならゲームに参加しろと言われてもすぐに断ることができただろうにそれをしなかったのは、これも仕事の一貫だと言われたのか、それとも彼女の弱みである弟のことをチラつかせたのか。