臨也さんが楽しそうで何よりです。サンプル







03-06





「何かいいことでもありましたか」

 一目で高級車とわかる車内の中で言われた言葉にゆるりと首を傾げた。指にあたる座席の感触は滑らかで、視界の端に映る運転席は同じ車種のものでも量産されているタイプとは大きく異なるデザインになっている。乗る前に見た外観は何度となく見ているはずなのにいつも光を弾かんばかりに磨かれていた。新車でもないのにそんな毎日洗車されているような車を乗り回している人間なんて早々いない。窓ガラスにスモークが貼ってあるとか、ナンバーがいかにもだとかそういったわかりやすさはないけれど見る人が見れば一目で中に乗っているのは任侠系だとわかるこの車の後部座席はなかなか座り心地がいい。
 最近はファミリータイプのやつでもシートの品質が高いとか聞くけど買うならやっぱり高級車かなぁ。後部座席に誰か乗せる予定なんてないし、運転席と助手席があればいいからそれなら内装に、とりわけ座り心地に拘ってもいいよね。

「どうしたんですか、四木さん。そんないきなり」

 長時間車に乗る予定なんて今はまだないけど、もし旅行に行くなら車がいい。電車は楽だが人が多いし。そんなことを考えながら手元の書類をひどく冷めた目で見ている仕事相手に問い返すと、いえ、と四木さんは顔を上げないまま言葉を続けた。

「さっきからやけにきょろきょろと車内を見渡して落ち着かないご様子だったので、早く帰りたいのかと思っただけですよ」

 言われた言葉に思わず苦笑が浮かぶ。元々自分は機嫌が上向きになるとそれがわかりやすく出る人間だと思う。そうしたほうが相手の反応を引き出しやすいと長年の人間観察で気づいた。大抵俺の機嫌が良くなるのに反比例するように相手が怒ったり、悲しんだりするのでことさら大げさにやってる自覚はあるけど、今はそんなことも特に考えていなかったから(四木さん相手にそれをするほど馬鹿じゃない)指摘されて驚いた。聡い人だとは思うけどわざわざ言われるほど俺は楽しそうに見えるんだろうか。

「すみません」

 それでも仕事相手に早く帰りたいと思われているのはよろしくないので謝罪の言葉を口にした。いやまぁ、できることなら今すぐにでも家に戻りたいけどね。だけどやることはきちんとやっておかないと。

「かまいませんよ。誰か帰宅を待っている人でも?」

 ひどくありきたりな質問だなとは思う。思うが、この人に聞かれると少し緊張するかな。言外にそれはお前の弱みに成り得るものかと聞かれているみたいだ。実際そういう意味が半分、そわそわとしている俺がうっとおしいの半分くらいかな。
 中途半端な嘘はすぐに見破られるので正直に答えておこう。

「実は最近、ペットを飼ったんですよ」
「ペット、ですか」

 手元の書類に目を通しながら、わずかに眉を顰めて問い返される言葉にええ、と頷く。

「前々からずっと気になってた子なんですけどね。でもほら、俺は忙しくて中々家に帰れないし、そんなに構ってあげられないかもしれないじゃないですか」

「そうですね。いつ殺されるかわからないようなお仕事ですし」
「逆恨みする輩が多い世の中ですからねぇ……物騒になったものですよ」

 四木さんが小さく笑ったような音が耳に入る。乾ききったその笑みに、こちらへと視線が向けられていないことはわかっているが笑顔で応えた。

「だから思ったんですよ。いつ死ぬかわからないならあの子を迎えようって!」
「……死ぬかわからないから、ですか。あなたらしいですね」

 らしいという程の俺の何を知っているのだろうと思うけれど付き合いが長いのだから、ある程度俺の人間性は理解しているんだろうなと思う。
 慇懃な口調には何の感情も見えない。それは概ねこの人と話すときはいつでもそうだ。

「あなたが死んで誰も世話をする人間がいなかったら衰弱死するんじゃないですか」
「それって心中みたいですよね」
「…………」
「まぁ、俺がいなくても簡単には死なないとは思いますけど」

 俺の言葉に四木さんが顔を上げた。バックミラー越しに目が合う。

「そのペット、種類を聞いても?」
「どこででも見れる生き物ですよ。そんな四木さんが気にするほど珍しいものじゃありません」

 信号に掴まり車が止まる。書類を読み終えたらしい四木さんが丁寧に封筒にそれらをいれるのを目にしながら座席のソファーに身体を沈めた。うん、やっぱり旅行に行くなら車がいいね。閉鎖されているからあの子と旅行に行ったときにいつでも二人きりの空気を味わえる。
 車が動き出すのと同時に、ふ、と吐息の音がした。その音の原因である隣の人間に視線を向けると特に何の感情も顔には浮かべていなかった。

「そうですか。あなたがそれだけ可愛がっているのなら、いずれそのペットに会ってみたいものですね」
「ええ、いずれ。人見知りはしない子なんですけど、その分俺以外の人間にも簡単に懐いちゃうみたいで。四木さんに懐かれたら嫌なのでもっと俺とあの子が仲良くなったらお披露目しますよ」
「楽しみにしています。ただ、まぁ」

 車の窓から見える風景がなじみのあるものになる。新宿の少し外れに位置するマンションまで送ってくれるよう交渉したのは俺なのだから当然と言えば当然なのだけど、書類を確認する時間をとるために遠回りをしていたようだからここまでマンションの近くだと気がつかなかった。まぁ、まだこのあたりに越してきて四日程度だからわからなくてもしょうがないといえばしょうがないか。

「あまり道理にもとることはしないほうがいいと思いますよ」
「忠告ですか?」
「どうとってもらっても構いません。あなたが何をしようとこちらに迷惑がかからないのであれば自由にしたらいい」

 相変わらず感情を悟らせない冷徹なポーカーフェイスに、肝に銘じておきますと愛想よく応えておいた。
 家で待っているかわいいあの子に関わることなら誰かに迷惑を、外に情報が漏れるような馬鹿なことをする気はない。情報屋である俺がそれくらいできなくてどうする。
 それは四木さんも重々わかっているだろう。だからこれはただ単に、会話の流れを止めないために口にしたに過ぎない。感情を顔に表さないのはそこまで興味がないからで、そうじゃなかったら俺だってこんな話をしたりはしない。無関心だからこそ俺は浮き立つ気持ちを自慢したのだし。

「迷惑をかける気なんか毛頭ありませんよ。あぁ、でもしばらくはちょっと連絡をとらないでもらえるとありがたいんですけれど」
「しばらくはあなたに頼むような仕事は予定には入っていませんが……何があるかわからないのでお約束はできませんね。ですがこちらとしてもあなたを使わないでいるに越したことはありません」

 滑らかな動作で車が目的地であるマンションの前に着く。
 俺に仕事を頼むのは多少高い金を払ってでも正確性の高い情報が欲しいときや、粟楠会の人間には頼めない仕事のときだけだ。前者ならよっぽど急ぎでなければメールで用件を伝えてくるだろうし、後者なら先日のアンフィスバエナのようなイレギュラーなことが起こったときくらいしか話はこない。俺が掴んでいる情報でもしばらくはああいうおもしろいことは起こりそうにないから大丈夫だとは思うのだけど、一応と思って付け足しておいた。

「まだ飼い始めて間がないので、できるだけ側にいたいんですよねぇ」
「…………」
「寂しがり屋な子だから放っておくと何をするかわかりませんし。俺としても早く俺だけに甘えるようになってもらいたいんですよ」

 ですからご協力お願いしますね、と最後に告げてからドアを開ける。コンクリートに足をつけて空を見上げるとそこには灰色の雲が広がりもうすぐ雨が降りそうな天気だったが、俺の心中はどこまでも晴れ渡っているような爽快感があった。急ぎの仕事はこの四木さんの案件で最後だ。しばらくは心置きなくあの子と過ごすことができる。それを思うと勝手に笑みが口から転がりだしそうだ。
 鼻歌でも歌いだしそうな俺の姿を見てなのか、それとも今話した内容のせいなのかはわからないが車のドアを閉める瞬間小さく、反吐が出る、と四木さんが呟いたのが聞こえた。
 すぐに車は走り出してあっという間に姿が見えなくなったから聞き間違いかもしれない。だけどまぁ、俺が何をしているのか今の会話だけでわかったらしい四木さんがそういうのもおかしくはないかな。

「反吐が出る、ねぇ」

 長年の友人が俺を表現するときにも同じことを言うのだから俺という人間はそう見えるんだろうね。でも別にそんなことは構わない。俺は俺のやりたいようにやるだけだ。

「我慢してても死んじゃったら意味がないし、ねぇ?」

 目の前のマンションを見上げながら誰に言うでもなく呟く。この建物は一見普通のマンションだけどセキュリティが少し特殊だ。
 認知症や、入院するまでではないにしても精神疾患を抱えている人間やその家族のために建設されたここは書類審査が厳しい。だけどそんなもの情報屋である俺にとっては何の障害にもならなかった。
 できたばかりのマンションのエントランスをくぐる頃にはもう四木さんに言われた言葉は頭から抜け落ち、部屋で待っているであろうあの子のことでいっぱいになる。
 エレベーターを待つ間も待ち遠しくて仕方ない。ようやくたどり着いた目的階で降り、三つしか並んでいない内の一番奥のドアにカードキーを差し込み玄関を開けた。
















サンプル了